CSTの優れたデザイン
最近内輪の掲示板で紅茶さんがCute Sister TRPG(CST)*1のコンセプトが非常に面白いと紹介してくれた。CSTのデザイナーズノートをWEBから発見したらしい*2。
CSTについて説明していると長くなるけれど、これからする僕の話には詳細な情報は必要ない。構造を残したまま味付けを変更して身近な例で説明したいと思う。このゲームでは自分はスパイになって、重要人物に色仕掛け(ハニートラップ)をしかけ、情報を盗み出してくる。本当はもうちょっとファンタジックな設定なんだけど、分かりやすさ重視なんでこれで勘弁してもらいたい。このとき重要なのは色仕掛けしているうちに本気になってしまうことがあるということである。
つまり結末は二通りあって、スパイとしてミッションを成功させるか、ターゲットに本当に惚れてしまい、スパイをやめて二人で暮らすかである。こうした重大な岐路はゲームにおいては非常に好まれる構造だろう。
デザイナーズノートの中で、この2つは『ゲーム側が規定した勝利』と『その場で生まれたセッションの物語重力における勝利』という意味づけがなされている。TRPG者の中では、意図して作られた物語と意図せず発生した物語で後者を好むという方がよくいるが、この議論は非常に曖昧で主観によっていて、あまり理解が進んでいないと個人的には思っている。CSTのデザイナーズノートは非常に明確にこの議論に踏み込んでいて面白かった。
他のTRPGシステムでこのあたり事情はどうなっているのだろうか。有名どころでダブルクロスを考えると、こういう設定はできるかもしれない。ヒロインが絶対絶命のピンチでジャーム化するほど侵蝕値を上げないと助からないとしたらどうするか?これはまぁヒロインを助けざるを得ない気がするが、このシチュエーションを用意するとPCを失うしかない状況を用意されたとPLは感じるかもしれなくて、あんまり上策ではない気がする。
シノビガミでは、秘密があるので、もうちょっとやりやすいかもしれない。ターゲットを暗殺するミッションで実はターゲットはかつての恋人であるとか。結末は秘密を隠し通したまま暗殺するか、秘密を打ち明けて二人で逃げるのか、二通りとなる。
こうした例をみていると、こうしたことって組織の理論よりも個人の感情を優先させた結果なので、パーティを組んで強敵と戦うシステムよりはバトルロイヤルのほうがやりやすそう。パーティについて成功失敗があるよりは、PC一人一人について、成功失敗があるシステムのほうが良いかも。
僕はTRPGではゲームデザイナーではなくて、GMなのでデザインしているのはシナリオなわけだけど、普通PTにとっての成功、PCにとっての成功、PLにとっての成功が全て一致するような方向で考えてしまう。そこを変えて、PCにとっての成功をとるとPCの属す組織にとっては不成功になって報酬が減るとかいう設定にした場合、”報酬を減らしてまでその道を選んだ”という満足が生じて良いかもしれないと思った。