崖の上のポニョ

崖の上のポニョを見たんで感想を書こうと思っていろいろ調べたのですが、僕が思ったことは他のブログなどですでに述べられていることに気がつきました。そんなにオリジナリティがあるわけではありませんが、僕なりにまとめてみようと思います。ネタバレなのでお気をつけあれ。まぁわりとシンプルな話ですので、ネタバレしたところでどうってことないと思いますけど。

異類婚姻譚としての人魚姫

公式サイトでは、このポニョはアンデルセンの「人魚姫」からキリスト教色を払拭したものと説明されています(映画『崖の上のポニョ』公式サイト)。原作では人魚姫は人間になるために声を失うなど奇跡を起こすには代償が必要だったり、結局結ばれずスピリチュアルで禁欲的だったりしますが、本作ではそういう部分は取り除かれていますね*1。残っているのは人魚と人間の恋という根幹部分だけです。

こういう異種族間の恋や結婚の話は日本では異類婚姻譚と呼ばれます。wikipediaによるとこれは以下のようなパターンの話が多いようですね。鶴の恩返しを思い浮かべましょう。

  1. 援助 - 例:動物を助ける。
  2. 来訪 - 例:動物が人間に化けて訪れる。
  3. 共棲 - 例:守るべき契約や規則がある
  4. 労働 - 例:富をもたらす。
  5. 破局 - 例:正体を知ってしまう。(見るなのタブー)
  6. 別離

異類婚姻譚 - Wikipedia

前半の部分はポニョでも現れてきますね。援助(ビンから助ける)、来訪(嵐とともにすごい登場だったw)などです。二人で暮らす共棲のシーンはあるんですが、ポニョの場合は守るべき規則やタブーはないんですよね。来訪した瞬間にソースケはポニョを助けた金魚だと気づいていますから、見るなのタブーを破って正体を知ることもなく、破局は訪れません。異類婚姻譚が先ほど挙げたような形になるのは、ルールや約束を守らないとひどい目にあうとして子供に共同体の倫理観を教えるものだけが残ったからでしょうかね。このあたりから僕は共同体や宗教の倫理観にとらわれず、子供の自由で素朴な愛情を表現させたいという意図を感じてしまいました。

ソースケとポニョの成長物語

ここから先は僕がよくやっていること。大塚英志の人身御供伝を解析ツールに使って、崖の上のポニョを成長話として読み解いてみます。

ソースケの成長話

上記のように、ポニョを異類婚姻譚と見ていた場合、最後の試練の軽さに驚きを覚えることでしょう。ソースケは始めから正体を知っているし魚のポニョも好きですし、僕も第一印象では『試練が試練になってなくないか?』と思いました。

しかし、よく考えるとソースケが成長したのはここではありません。実は魚のポニョがフジモトに奪われてしまった時点で、大切なものを喪失しており、そのあとコースケのいないリサの姿をポニョに重ね合わせ(このあたり深読みかも)、ポニョを守ろうと決意します。これがソースケの成長ですね。

ポニョの成長話

男女の物語を一方だけの成長物語と見ずに、別のほうの成長物語として見るといろいろな発見があって楽しいことが多いです。

ポニョは女の子なんですが、抑圧的な父のフジモトに監禁され子供のままでいることを要求されます。しかし、父の目を盗んで脱走して父を出し抜くところが、息子の父殺しではなく、娘の父殺しになっていて面白いところです。”ナウシカ”や”もののけ姫”にでてくる破壊的な男の子のような女の子像ですね。

彼女の場合、最終的にはその父殺しした力を失います。心理学的には去勢されて万能感を失うことが成長には重要だと言われているみたいですね。自分のなすがままにできるという万能感を捨てて初めて、社会に溶け込めるという意味で。作中でも去勢されないままのポニョでは人間界で暮らすことができません。ソースケがうまく去勢してあげることで、人間界で暮らすことができるようになります。
しかし、ここまで解釈してちょっとおかしい点に気づきます。というのも前の節では子供が共同体のルールにとらわれるべきではないという解釈を引き出したのに、結局去勢されて社会性を身につけるって矛盾してないでしょうか?

男女逆転した美女と野獣

考えに詰まったので、宮崎駿作品の分析をしているサイトからヒントを探してみました。

こちらでは殺戮兵器への愛情やその強大な力をどうするのかというテーマが過去の宮崎作品でどう表現されてきたか分析されています。ハウルの動く城で一番簡単に見ることができますが、劇中では自分の力を御しきれないハウルに純真な女の子ソフィーが心を通わせ、その力を無効化しています。

この解釈からポニョを眺めると、ポニョこそが殺戮兵器ですね。そしてその力を無効化するのがソースケ。登場人物の性別は入れ替わっていますが、ハウルと同じような構造をみることができますね。

そうなると、ポニョの力は心理学的な万能感の象徴ではなく、忌むべき無軌道な力、のろいとでも言ったほうが良いかもしれません。ソースケとポニョの心の結びつきによって、ポニョの呪いがとける話と解釈するとよいでしょう。

女の子の持つ呪いを包容力のある男の子が解いてあげる話とみて一言でまとめると、男女が逆転した美女と野獣だということでした。

まとめ

崖の上のポニョ民俗学や心理学を使って解釈してみました。僕はそういう分野の専門家ではなく、ただ何冊か本を読んだことがあるだけなので信じすぎてはいけませんw。僕はこのアニメから共同体への非帰属というメッセージや心の結びつきによる御しきれない力の無力化というテーマを感じ取ったという話です。

自分の解釈に対する雑感

正直どっかに書いてありそうなことを書いてしまったという感があります。アニメや漫画を心理学と民俗学を使って解析するのって、今となってはちょっと古いですね。ツールは先人に用意されちゃってるしなぁw。今後はggincさんが行っているように、物語の部分だけではなく絵と物語の関係を語っていく必要があるでしょう*2

僕はへたくそながら自分で絵も描くわけだし、ポニョの絵そのものについてなんか語っても良さそうですが、いまいち何にも思いつきませんでしたw。