ルー=ガルー 忌避すべき狼 1-3 樋口彰彦, 京極夏彦

ルー=ガルー 忌避すべき狼 (1)(リュウコミックス) ルー=ガルー ―忌避すべき狼 (2) (リュウコミックス) ルー=ガルー 忌避すべき狼 (3) (リュウコミックス)

京極夏彦原作という期待感と、キャッチーなおにゃのこの表紙に引かれ読んでみました。さすがに京極夏彦、おもしろい背景設定で引き込まれます。管理社会が行き過ぎた近未来、人と人とのつきあいはモニター越しになり、物理接触(リアルコミュニケーション)がむしろ気持ち悪いものとなっているような世界観です。今の日本のアニメが旧式動画として信奉されているってのも新鮮でどんどん引き込まれました。

今回、TRPGタグをつけましたが、それは先日書いたストーリーメーカー 創作のための物語論 大塚英志 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むに関連があるからです。 右端の黒い服の少女、作倉雛子は占いが得意なのですが、その占いに対する彼女の考え方が独創的で面白いですね。彼女によると占いというのは未来の結果を示すものではなく、未来の結果をどう受け止めるのかを決めるためにあるとのこと。占いが未来を予想するというのは、科学的に言えばかなりうそ臭いですが、未来に起きたことをポジティブに受け止めればいいのかネガティブに受け止めればいいのかを占いによって決めるといわれれば、それなりに説得力があるような気がします。

さて、これが前書いた記事とどう繋がるかといいますと、シナリオの型を占いだと思ってください。普通の認識だとシナリオの型を使うというのは、先を占い決めてしまうように思えるかもしれませんが、占いを解釈だと思うのと同様に、シナリオの型を解釈法と捉えると、それは決定論的な未来を作りだす方法ではなくなります。なぜならどんなシナリオだろうがストーリラインだろうが、神話に沿って”解釈する”ことが可能だからです。例えば一見非日常に行って帰ってこないように見えるストーリだろうと、行って帰ってきたとみなすことができる視点を発見することが可能です。なので、シナリオの型どおりに、行って帰ってくるようにストーリーを作る必要はありません。出来た話を行って帰ってくる話と理解した場合、そこで見つめなおされるものは何かっていうのが問題なわけです。

シナリオの型にはめて作ることも良いし、逆に好きに作ったあとで型にはめて解釈しなおすことで、物語を深く理解しても良い。理性的なシナリオが嫌いでも後者のように解釈する手段を持つことは意義のあることなんじゃないかと思います。