リプレイの役割

コミケTRPG関連物を販売しているとき、リプレイではなくて小説を置いていると言ったら、客が帰ってしまったという話。こういう話がWEBに上がること自体がおもしろいですね。元記事では客がリプレイ読み専の方だったのかと推測をしているわけですけど、コミケの電源不要のブースまでわざわざ来る方がリプレイ読み専っていうのもなかなか信じがたい話かなぁと思います。真相はわかりませんが。その後元記事ではリプレイというのはまずはルールを理解するためにあるのではというお話が続きます。

これに関してちょうど同じ時期に玄兎さんが良いことをブログに書いています。

商業リプレイが売れる理由っていうか、売れるようになるまでの流れは、まず最初にタイトルの紹介として、つまり入門書として読まれることにある。この時点では購入者は、リプレイが面白いかって話よりも、新作がどういう楽しみを提供してくれるのか、どう遊べばいいのかってコンセプトを読むために買う。
http://blog.talerpg.net/rpg/archives/1791

玄兎さんは新作の話をしていますが、別に新作に限らずリプレイは”セッションのコンセプトを勉強するための教材”でもあると思うのです。

ミステリシナリオがやりたいならアリアンロッドのハートフルが参考になるし、若者の成長物がやりたいならダブルクロスのリプレイオリジンが参考になるとか、学べることは必ずしもルールとは限りません。

本当はシナリオ集でこういうことを学んでも良いのかもしれませんが、シナリオ集は順番に読んでいって分かりやすい構造では書かれず、リプレイを読むより読み込む手間がかかりますし、実際のセッションにて気をつけるポイントなどの注も少ないです(シャドウランのシナリオにはそういうことも書いてありましたが)。

そういった感じで、セッションに役立つ情報が手軽に読めるという意味でリプレイは人気なのかなぁと思いました。

戯曲としてのリプレイ

ちょっと追記しておきますが、リプレイというのは小説というより戯曲的であるというのが最近の僕の主張です。リプレイのおもしろさを小説的な見地から測るのは不当かなぁと思っています。

小説と戯曲を比べるとたぶん小説のほうが没入感に優れるのでしょうね。特に一人称のものはそうだと思います。それに対して戯曲は劇としての面白みに富むのではないでしょうか。劇では観客と俳優は一般に距離があるものでして、俳優の立場にたってみれば面白くないドタバタ劇が観客にとってはおもしろいということはよくあることかと(すみません、このあたりはなぜ”劇”が面白いのかという理屈がないと分かりにくいですよね。喜志哲雄の喜劇の手法という本に書かれているのでいつか紹介しようと思います。)

この意味で小説よりも戯曲を好む人がいても良いのではないでしょうか。リプレイは小説と質が違う楽しみを提供し、面白さとして小説に劣るメディアではないと思います。