TRPGのパッケージ

R&Rのおにゃのこ表紙とか萌えクトゥルフとかどうよって話。nacky7さんはこの問題がすぐアンチvs信者の論争になってしまうことを不毛に思っているそうですが、そこは大変頷けるお話です。ここではTRPGの冬がこないために、販促のための萌え的な道とサブカルとしての力強さを維持する骨太な道、どちらも出版物を出していくことが重要なのではと述べられています。

この件に関して僕はちょっと違った印象を持っています。そもそも”萌え○○”というものが成立するためには○○にはそれなりに骨太なものが入る必要があるのではないでしょうか。それなりにマニアックで敷居が高く、初心者お断りの世界があって初めてそれの初心者用の解説、敷居を取り除いたもの、廉価版などが存在するのでは。例えばもしクトゥルフがとっつき易い世界であったら、わざわざ萌えにする必要がないので萌えクトゥルフの価値も落ちると思うのです。

パッケージを文化的に低俗だと思われがちなものすると、それだけで”これは難しくないんですよ”という印象をあたえます。その効果も重要で、”おおきなお友達はかわいい女の子が大好きである”という意味での販促だけで考えないほうが良いんじゃないでしょうか。昔、桃尻語訳枕草子とかもありましたし、最近では”もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら”なんかもあります。これと同じ方向性を持ったものと言うことができるかと。

その上で大切のはこうした初心者用の解説本を読んで、”次はもうちょっと本格的な本が読みたい”と思わせることができるかどうかなのではないでしょうか。例えばクトゥルフに関してはそもそもたくさんの出版物が出ていますので、そこにつながる、でも気楽に読める作品が重要かと。”ニャル子さん読んでクトゥルフに興味を持ったんだけど次は何を読めば良いの?”にきちんと答えられると窓口は広く、されど奥は深くという理想的な状況になり好ましいのではないのでしょうか。図式的に言えば萌え的なものと骨太なものを乖離させてしまってはいけなくて、骨太なものに興味を持たせるような萌え的なものや、萌え的なものと骨太なものの架け橋となるような作品が大事なのではないでしょうか。