ユーザータイプ主導でゲームデザインを考える (続き1)

比較的新しい考え方であるユーザーモデル主導のゲームデザインというトピックを”「ヒットする」ゲームデザイン”という本から紹介する話の続きです。前回は本の存在のみ紹介しましたが、やっぱりある程度本論も紹介しないといまいち収まりが悪くて気持ち悪いので続けます。

本書のメインはMyers-Briggs類型論という性格分類を用いたゲームデザインの分析なのですが、今日はその前の段階として押さえておくべきユーザーモデルをいくつか紹介します。

本論を始める前に一つ注意を。ユーザーモデル主導で話を進める方式はゲームの性質をまず考えていく方式とは真逆の方向です。つまりTRPGの本質はこうである、だからTRPGはこういう風にプレイをすべきというのと、プレイヤーはこういうことがしたい、だからこういうゲームにすべきというのは逆の方向を向いているのがお分かりになるでしょう*1

例えばTRPGはなりちゃではないとか、TRPGではGMとPLはガチな対立関係にないとか、そういう風にゲームの性質をまず決めてしまって、そこからそれにふさわしいプレイスタイルを考えるというのはプレイヤーのやりたいこと主導ではなくて、ゲームの性質主導の考え方です。なりちゃがやりたい人やガチな対決をやりたいという文脈の話に以上のような意見をぶつけてもしょうがありません。

このようにまとめてしまえば非常に明快なことではあるのですが、どちらの方向で考えているのか論者がしっかり認識していないと、揉めやすいところだと思います。TRPGは特にゲームデザインとゲームプレイの境界線があいまいですので。


では、改めて本論を始めます。まずはユーザーモデルをいくつか紹介していきます。

カジュアル/ハードコア

まずは最も基本的なモデルです。ゲームをよくやる層をハードコアゲーマー、そこそこしかやらないそうをカジュアルゲーマーと呼ぶことにします*2

本当はそれぞれのグループの中でも異なる傾向を持つユーザーに分かれるのですが、そのあたりを大ざっぱにくくるとハードコアとカジュアルでは以下のような特徴があるそうです。

ハードコア カジュアル
たくさんのゲームを購入し遊ぶ あまり数多くは遊ばない。一つのゲームを何回も遊ぶことはある。
ゲームの慣習に詳しい ゲームの慣習に詳しくない
ゲームが生活の一部 リラックスや暇つぶしのためにゲームで遊ぶ
困難なチャレンジにわくわくする 楽しみや体験を求める
ゲームの評価が両極端 ゲームの評価はばらばら

TRPGの場合は、ハードコアゲーマーであっても、あんまりたくさんルルブを買わないことがあるというのが面白いところかもしれません*3。ゲームに上達すると、新しいゲームを買わなくても自力で楽しみを提供できるようになるからでしょうか。

ハードコアゲーマーとカジュアルゲーマーの感覚の違いはゲームを登山だと思うかハイキングだと思うかという喩えで明確に理解できます。ハードコアゲーマーはゲームを登山のようなものととらえ、困難なことを成し遂げる達成感に魅力を感じてます。対してカジュアルゲーマーはゲームをハイキングのようなものととらえ。無理なく目的地にたどり着ける簡易さを求めます。

同じゲームで登山の感覚とハイキングの感覚を体験させるのはなかなか困難ですが、バイオハザードではハイキングレベルをカジュアルゲーマーのために登山レベルをハードコアゲーマーのために用意しています。TRPGではこうしたあからさまなレベル調整はあまり見られませんが、芝村裕吏がSDを務めるAの魔法陣では見ることができます。

TRPGでもPLが登山を求めているのかハイキングを求めているのか明確にし、それに対応するのは重要なことでしょう*4。個人的には僕は登山を求めすぎてちょっと疲れ、今はハイキングの良さを見直す時期に差し掛かっています。

ちなみにカジュアルゲーマーに対応するには単に問題の難易度を易しくすればよいというものではありません。成功や失敗のある成績志向の刺激よりも、単にそれじたいがおもしろおかしいような刺激をより重視する必要があります。これらの事情はコスティキャンや馬場論では軽視されているトイプレイのデザイン論ができるともう少しうまく説明できそうですが、トイプレイがなぜおもしろいのか、なぜトイプレイにはまるのかに関する理屈はまだ発展途上です*5

操作が簡単であったりプレイ時間が短くてすむものがやはりカジュアル層を引きつけますが、このあたりはTRPGのコミュニティでもよく議論されていることです*6

その他、ハードコアゲーマーをより長期間にわたってそのゲームに引きつけておくためには、やりこみ要素や難易度調整のようなものがあったほうが良いとされています。

ihoboユーザーモデル

International Hobo社で2003年まで用いられていたユーザーモデルがihoboモデルです。この分類ではハードコアゲーマーとカジュアルゲーマーの間の層にテストステロンゲーマーやライフスタイルゲーマーという分類を置きます。

テストステロンというのは男性ホルモンの1種ですが、車や銃や競争といった要素により強く引かれるゲーマーをこの層に分類します。日本では”2次元美少女”というのもこれに含めてもよいでしょう。

逆にライフスタイルゲーマーという分類はストーリーへの関心が高く、社会的に受け入れられるゲームを好むという特性があります。

TRPGのルルブの表紙が美少女ばっかりなのはどうかという問題が議論されたこともありましたが*7、これらはテストステロンゲーマーの要請とライフスタイルゲーマーの要請が同時には満たしにくいということが本質なのだと整理することができます。

GTA(Grand Theft Auto)シリーズはテストステロン要素が多くライフスタイルゲーマーに受けなかったものの、続編を重ねるごとにカジュアル層を獲得していったそうです。ゲームのタイトルがメジャーになるに従ってテストステロン要素を緩和したり、それ以外の要素をいれたりしているのでしょうか。僕はGTAに詳しくないので分かりませんが、調べると参考になるかもしれません。

TRPGでの試みですが、Double Cross 3rdの標準ルルブの表紙などはキャラクターを使っているという意味ではテストステロン要素を残したまま、全体の色調を単色にし、ライフスタイルゲーマーも狙っているのかもしれません。

ところで、テストステロンゲーマーがあるなら、エストロゲン(女性ホルモン)ゲーマーもあっても良さそうなものです。The Simsのプレイヤーは70%が女性であるという話もありますし、女性ゲーマーというのも今後のゲーム業界では無視できないと思われます。例えばBLや歴史ものドールハウスや着せかえなどの要素を取り込むのはどうでしょうね。

まとめ

基本的なユーザーモデルとして、ハードコアゲーマー/カジュアルゲーマーの分類とテストステロンゲーマー/ライフスタイルゲーマーという分類を紹介しました。

今後の展開としてはゲームの商品の情報がどのようにユーザー層やメディアを伝播していくのかの議論と、Myers-Briggs類型論という性格分類を用いたより詳細なユーザーモデルの構築の話が残っています。書くことをお約束はできませんが、期待せずにお待ちください。

エラッタ

×テストロン→○テストステロン