オヤクソクの物語的意味
さて、先ほど強敵に負けるシーンやヒロインが攫われるシーンがシナリオ上必要になることがあると述べましたが、こうしたオヤクソクなシーンは本当に物語上で意味があるのかという疑問を覚えたので、その意味について具体的に考えていきたいと思います。
一度強敵に負ける そして最後は戦闘
最後に戦闘を持ってくるとゲームとしての収まりが良いタイプのTRPGシステムはよく見かけると思います。ではこの戦闘に勝つことの物語的な意味はなんなのかまず考えていきたいと思います。また、一度強敵に負けることの意味も考えていきます。
弱いPCの自信につながる
まず、PCの心が弱い、あるいは、PCが力に目覚めたばかりである場合、戦闘で勝ったという達成感はPCの自信につながり、ある種の成長と見なすことができると思います。強敵に負けるのとあわせ技にするとよりこの意味がひきたつでしょう。
強いPCの安心につながる
PCが強い…といいますか、戦闘なれしている場合、単に敵に勝つということはそんなに意味があるわけではありません。強いPCが戦闘をする理由というのは何か守りたいものがあるのでしょう。いくら自分自身の戦闘能力が高かろうと守りたいものが常に守れるとは限りません。戦闘に勝つことで大事なものが守れ安心するという展開が多いでしょう。演出的には何かを守りきれなかった過去があったりすると、戦闘前に不安を演出することができ、話が盛り上がると思われます。複数の大事な何かを設定し、一度強敵に負けることで奪われるという演出も良いかもしれません。
ヒロインの生き方に影響を与える
PCたちが戦う姿をみて、ヒロインが感銘をうけ何らかの成長をしてくれる場合があります。具体的には人を信じられないヒロインをPCが命がけで助けることで人を信じられるようになるとか。物事をすぐ諦めてしまうヒロインが、何度倒れても起き上がる主人公に感銘をうけたり。
ヒロインは攫われたり閉じ込められたりする
昔から姫はドラゴンに攫われるものと相場が決まっていますのでなんでヒロインは攫われるのかについて。
なぜヒロインが攫われるのに関しては、攫われたものや閉じ込められたものから解放するのが正義っぽいからでしょう。誰もが閉じ込められたり自由を奪われたりするのはいやなものです。そこから解放してくれる人物というのはヒロインにとって恩人になりやすいと思います。
一方攫われない場合にはどうなるか、PCは狙われているヒロインを護衛することになると思うのですが、護衛の場合、ヒロインに依頼されない限りは正義とは限らないという特徴があります。ヒロインに依頼されない場合、依頼人の利害によってヒロインを護衛することになり、よりビジネスライクになるのですね。
PCたちをヒロインにとっての正義の味方とするために、一旦攫われたものを助けだす形にする必要があるのだと思われます。