語り手にとっての物語

先日standbyさんの記事に応えるような形で、物語とGM・PLの役割の話を書かせていただきましたが、standbyさんからの返信がまた面白かったので、僕ももうチョット考えてみたくなりました。

PC/NPC視点ではなく、PL/GM視点での物語を作るとは

前回の話で、僕は登場人物やその人物への感情移入に着目して物語とは何かを議論しましたが、standbyさんはもっと外の視点から物語を作っているようで、僕の言っていることが直接成り立つわけではないかもしれません。外の視点とは、TRPGや創作活動をお話世界の中で活躍するPC/NPCをPL/GMが動かすというモデルを考えたとき、お話の外から見て登場人物に何をさせたいのか考える視点とでも言えばわかっていただけるでしょうか。ともかく、そういう外の視点から物語にアプローチする理屈みたいなものって、けっこう新しい話題なんじゃないかと思いました。

すこし抽象的に捕らえてみますと、物語を作り出す語り手側と物語に没頭する聞き手側のそれぞれとっての物語観の違いは何なのかという問いなのかもしれません。新城カズマの物語工学論では以下のような議論になっています。

1.46 人間は「だまされる能力」があるからこそフィクションを楽しむことができる
1.6 物語の作り手になるということは、どこかで「だまされる」人でなくなるということかもしれない。
1.62 「物語」の構造を分析できるようになればなるほど。自分が読者として楽しむ作品の「先が読める」ようになる。「だまされなくなる悲しみ」は確かに存在する

僕はこの議論をまぁそうかなと納得していたのですが、standbyさんに改めて問われてみると、違うかもしれないと思うようになりました。

さて、世界内視点が人物に重きをおく考えだとしたら、世界外視点というのは出来事に重きを置く視点だと思います。そちらの視点に着目すると前回述べた物語の必要十分条件は下の表の左から右のように変更されますね。

  人物に注目 事件に注目
主要人物の存在 事件の存在
主要人物の動機の(終盤での)充足 事件の(終盤での)収束
動機の充足に至るまでの「予期(期待)はできるが正確には予測(予想)できない」ような錯綜 事件の収束に至るまでの「予期(期待)はできるが正確には予測(予想)できない」ような錯綜

この条件が出てくるロジックは前と同じで、物語はいつか終わるものという前提から始めまして、外の視点からみたときに物語が終わったと見なせるのはいつかといいますと、なんらからの事件が終わったときであろうという推論のもとにしています。

どうやって物語を作ればいいのか、つまりどうやってPCを動かせばいいのかという問いに対しては、人物に着目して”PCの設定にそって動かす”ということが言われてきたように思います。これは先ほどからの分類によるとPC視点を重要視した回答ですね。

PC視点を重要視したときの議論は今までまぁまぁあったと思うのですが、PL/GM視点を重要視した議論はそんなに見ないという印象があります。

PL/GMサイドからの物語の作り方

さて、今までPL/GMサイドと表記して来ましたが、これは従来はGMの仕事であり、近年PLがそれを手伝うようになった*1と思われるので、GMの仕事を思い浮かべるとよさそうです。

GMの仕事はパッと思いつくのは、

  1. シーンの作成
  2. 情景の描写
  3. NPCの操作

でしょうかね。3つ目はPLがPCを操作するの同じことでGM独自の仕事というわけでないので今回は議論の外です。

シーンの作成

状況の概要のみではお話にならないので、概要に具体的な肉付けを行うことがシーン作成です。例えば『騎士がひそかに恋焦がれていた姫が魔王にさらわれたので、騎士が魔王を倒して姫を救ってその功績を讃えられて結婚した』は上で書かれた必要十分条件の二つまでは満たしていますが、味気なさ過ぎて物語とは言えません。もっと詳細をつめる必要があります。この詳細をつめる作業です。

新井一のシナリオの基礎技術*2にはリトマス法という手法が載っています。

一つの状態にリトマス的な、人物、台詞、小道具、事件、自然現象を投げ込むことによって、その反応(リアクション)から、その人物の心理や感情や事情等を描くことができる

これはアルカリ性か酸性か分からない水溶液にリトマス紙をつけると色が変わってそのどちらかが分かることの比喩です。

TRPGの場合、なんらかのトラブルは個人のスキルやパーティの結束を浮き彫りにするということは皆さんよく把握されているかと思います

ところで、シーンを作るということは逆に描写しない出来事をつくるということでもありますね。何でもかんでも描写するのではなく、いらないところを省くことによりって、なんらかのテーマが浮かび上がってきます。standbyさんの場合、PCの過去の設定を語るシーンはいらないと言っているわけですけど、その過去が現在の事件に関係ないならいらないし、関係がありなおかつ面白いなら描写しても良いんじゃないかと思います。

登場する人数のTIPSとして、僕が知っているものは以下です。平田オリザの演劇論から持ってきています。

  • 本音が語られるシーンでは登場人物が少ない
  • あることについて語るためにはそれを知る人と知らない人が必要

いろいろ書いてきましたが、ここは確かに発展途上なように思います。情報収集のシーンをおもしろくするにはどういう演出をすればいいのかなど微妙ですね。むしろ人間がどう対立してどう協調するのかに関してのほうが書籍での資料は多いように思います。

情景の描写

映画など映像メディアでは情景の描写は時に台詞以上の迫力を与えます。TRPGでは手法が限られるとはいえ、技術を持っておくのに越したことはないですね。とはいえ、TRPGにおける情景描写の技術ってなんかありましたっけねw僕が思いだせるのは遠くから入ることぐらいです。

例えば『ここは○○高校の図書室、埃っぽい室内に窓から入ってきた光がうすぼんやりと見えています。あなたは立ち並ぶ本の多さに圧倒されながらもある調べものをしていました。』みたいな人物の視点から遠くのものから近いものへ描写していくとか。

あと人間の感覚のうち嗅覚とか触覚とかそういうぼんやりしたものから入ってあとから視覚とかはっきりしたものをもってきたほうがいいとか聞いたような。

どういう効果があるのか思い出せませんw。この辺もまとまってないですね。

PC視点とのバランス

さて、あんまりよくわからなくて技術論にすらなっていませんが、とにかくGM視点、事件中心視点の技術的なことをまとめてきました。このPL/GM視点とPC/NPC視点はそれなりにバランスをとらなきゃいけないという話をします。

新井一のシナリオの基礎技術の228ページですが、段取り芝居という項目があります。

段取りをするということは、結果をうまくもっていくためにこうしてこうすればこうなって行くだろうと、予め順序をたてることを言います。
(中略)
ところがドラマは、感情によって左右されるものであることはしばしば述べました。従ってストーリーを運ぶために、シーンの中で感情的に動いている登場人物を規制することはできません。
それをストーリーはこうなっているからといって、登場人物の感情を無視してストーリーに辻褄を合わせてドラマ進行させるのを<段取り芝居>というのです。
(中略)
これでは、ストーリーが一応よくできていても、つまらないドラマだということになります。
こうした現象は、ストーリー性を重要視するメロドラマ、推理ドラマ、社会劇などには、往々として現るので注意してください。

ここで、ストーリーがよくできていることと、ドラマがあることは実は矛盾しやすいということが指摘されています。まぁ言葉の定義の仕方にもよるのですが、ストーリーがよくできたものがよくできたドラマであるわけではないのです。お話の結末を固定するかどうかはストーリー重視なのかドラマ重視なのかという言い方もできると思います。

これはどうにかしてドラマを生かしたまま、ストーリーもきちんとするというのが最高なわけで、ストーリーのためにドラマが折れるのもドラマのためにストーリーがおれるのも心残りな結果になるんだと僕は思います。

まとめ

PC/NPCサイドではなく、PL/GMサイドからみた時の物語とは人物ベースではなく事件ベースになるのではないかと推測しました。その物語観にそって、GMサイドの技術をまとめようとしましたが、実際のところあまり具体的には書けませんでした。今後継続調査が必要だと思います。最後にPC/NPC視点とPL/GM視点のバランスについて述べ、ストーリー(段取り)とドラマ(感動を呼ぶ要素)が往々にして矛盾することを指摘し、ストーリーとドラマはどちらかをどちらかに従属させるのではなく、どちらも満足させたほうが良いのではないかという私見を述べました。

*1:レレレとかは除く

*2:

シナリオの基礎技術

シナリオの基礎技術