物語創作の分担

先日、『論考ツマンネ』と腐ってみたのですが*1、週が変わると『あの論考面白い!』という話をするこの身勝手さ。

とりあえず前回の話はツンデレだったということで処理しましょう。『あっあんたちの雑談なんて、きょ興味ないんだからねっ!あんた達だけで一生話し合ってなさいよ。でっでもどうしてもって言うなら、私の話を聞かせてあげてもいいわよ。ちょっ勘違いしないでよねっ。べっ別にあんた達の話に混じりたいとかそういうんじゃないんだから』という感じでがんばっていきたいと思います。

文脈

一番もとの記事はstandbyさんがネタと称して始めたシナリオや物語に関する考察でした。そちらへの反応はきまぐれTRPGニュースのほうにまとまっています。

何の話か僕なりの理解をまとめると以下のようになります。


”TRPGは物語を作る遊びです”という立場をとったとき、GMとPLはどういう役割分担で物語を作っているのか。この時、物語とは何か。

物語とは

物語とは何なのか、”ある時刻にある人物がとった行動を因果関係を考慮して適当な順番で並べたもの”という定義から出発することが多いですね。皆さんの議論もそうなっています。しかし、この定義だけではどこか物足りないものがあり、それは物語の必要条件ではあるけれど十分条件ではない感じがします。

これまでの議論で注目されているのは、単純な時系列の事実*2に感情移入するための段取りです。演劇でいうところの演出的な仕事でしょうか。これが単純な事実の羅列を物語と言えるものにするというのは確かに重要かもしれません。

新城カズマの物語工学論ではもう少し我々の実感にあった物語の定義が書かれています。

4.5
『物語』の必要十分条件とは、おそらく、主人公の存在、主人公の動機の(終盤での)充足、そしてそこに至る過程での「予期(期待)はできるが正確には予測(予想)できない」ような錯綜を起こすこと、の三つということになる。

新城カズマ著 物語工学論*3 179ページ

この三つもある意味、出来事に感情移入するための段取りということができるでしょう。

TRPGにおいてはこのうちの”主人公の存在”はPCを作ることによって満たされています。基本的にはここはPL側が分担します。

”主人公の動機の終盤での充足”に関しては、二つの部分に分けられます。動機付けと動機の充足です。動機付けに関してはPLが行うことが多いですが、ハンドアウトによってGMから提案することもできます。ハンドアウトによって提案されたPCの動機はセッションを解決することによって必ず充足されることが保障されますが、PLがPCにつけた動機は必ずしもセッションクリアによって充足されるとは限りません。PLにハンドアウトを書いてもらってからGMがシナリオをつくるようなやり方ももっと一般化するといいかもしれませんね。また、PCが冒険者や探索者の場合は、冒険すれば大抵の場合動機が満たされますので物語の体裁が整えやすいと言えるかもしれません。

三つ目の”「予期はできるが正確には予測できない」ような錯綜”については、二つ条件があることに注意が必要です。予期できなければいけないし、正確に予測できてもいけない。クライマックスに至る方法が予測できないシナリオというのはPLからすれば苦痛で、最近回転翼さんも記事を書いていますね*4。また、情報の出し方が唐突すぎたという反省をB.W.さんが書いています*5。正確に予測できてもいけないという条件は、別に僕らは予知能力があるわけでもないのでそんなに気にしなくてもいいかもしれませんが、確かにいくつか意外な展開があったほうがおもしろいかもしれないですね。最近ではGMが下手に作るよりはシステム付属のランダマイザに任せたほうが良いという話もあります*6

9月17日追記

上の文章はあとから読み返すと、いまいち切りもよくないし微妙な気がしてきた。書いたときにはまぁこんなもんだと思ったんですけどね。

物語の必要十分条件の3つめは、”予期はできるが”という言葉尻を捉えて上のように書いちゃったけど、物語工学論の本文の文脈では、正確には予測できないということしか、必要としていないようですね。

このあたりの問題をもうちょい整理したいところですが…。