ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むで書かれたTRPG論考とその変遷

ちょっと前の話ですが、TRPG論の論者たちが自分の立場をまとめていたことがありました*1。僕も自分がどうしたいのか少々迷ってきたところもありますので、自分の考えを整理したいと思っていたのですが忙しくてなかなか書く機会がありませんでしたね。まぁとりあえず自分がどんなことを書いてきたのが振り返ってみることにします。

サブカルチャー現代思想とTRPG

物語を作るときのHowtoに関しては大塚英志を重要人物として挙げました。僕ははもともと僕は趣味として哲学・倫理・思想が好きで、東浩紀など現代思想サブカルチャーを行き来している人の本をけっこう読んでいるんですよね。あまり他の人には共感できない興味かもしれませんが、そういう文脈でTRPGに触れることもよくあります。

井上(仮)ニュースとWEB上でのTRPG論

だんだん本だけでなくネットで無料で読める技術論を探し始め、はてなブックマーク - inouekariのブックマークをよく利用するようになります。いろいろ有用な記事がたくさんありますね。

受動的娯楽から能動的娯楽へ

僕がこうしてTRPGとそののhowtoに拘るのは、二次創作の隆盛なども踏まえて、娯楽が受動的なものから書く能動的なものに移っていくとおもしろいんじゃないかと思っているからです。物語を読む娯楽から物語を作る娯楽へって良いスローガンだと思います。

シナリオとゲーム

僕は大塚英志を主に参考にしていたこともあり、小説みたいなドラマチックなシナリオを作ろうとしてますね。さてドラマチックなシナリオっていうのを考えていくと、どうしても考えたくなるのが”TRPGのゲームとして側面”です。小説を書くのではなく、TRPGをすることの独特の楽しみを味わうためにシナリオとゲームをどう矛盾なく融合させるかとかいうのも気になってきます。

演劇論へ

何作かドラマチックなシナリオを実際に作ってみて、そちらに満足したあと、自分のPL力の低さが気になるようになってきます。一緒に遊んでいて楽しいすごくうまい人たちを見て、どうしたらPL力がつくのかなぁと考え演劇論を参考にすることにします。

コンピューターRPGとオンラインセッション環境

ここまでで議論してきた技術論というのは、個人によるものですが、セッションの環境というのも重要になってきます。オンラインセッションの環境構築なども好きな話題の一つです。僕はドラクエを遊んでからTRPGを遊んでいるようにCRPGのほうがTRPGより先にきています。TRPGをやらなくなってからもCRPGではずっと遊んでいました。CRPGとTRPGに差にも興味がありますね。

派生してチャットマナーの話とかにも踏み込んだこともあります。

きまぐれTRPGニュースと外への情報発信

個人的な技術論、セッションの環境作りを議論してきて、もう少し大きな視点でTRPGに関わっていけないかと考えるようになりました。一つ残念に思っていたのはTRPG界隈の情報を一括で扱っているサイトがなく情報の見通しが非常に悪いことです。初めて方や一度辞めた方に、古い情報じゃなく今の情報を届けたいと思いニュースサイトをつくりました。ラノベ関係のニュースサイトに影響を受けてます。

論考の振興

ニュースサイトなんてやっていますと気になるのは、議論の盛り上がりです。各論者の視点をまとめて文脈の確認をする記事を書くと、TRPG論考がもっと読まれるようになるのではないかと思い、定期的に各論者の論点を紹介しています。論考は各自自分の文脈で話を進めていきますので、前の記事を知らない人ほど今の記事を読みにくくなるという特徴があるんですよね。

必要な論考、おもしろい論考とは?

そして、現在。僕はちょっと悩んでいます。

あまりにたくさんのTRPG論の記事を読んできたせいか、その内容にちょっと飽きてしまっているのです。

こうした論考を読む一つの動機に、技術論を読んでTRPGが上手くなるということがあると思われますが、僕に関してはそういうフェイズは既に終わっており、あとは地道に実戦を繰り返さなきゃいけないんじゃないかと思っています。

また、僕はTRPG論というのは”面白ければ”特に役に立つ必要はないと思っているのですが、最近は特に目新しい話題がなく、過去に述べられたことを繰り返しているだけのような気がします。

そこで何か面白いことを見つけるためには、”お行儀のいいTRPG者”から時には離れることも必要なのかなぁと思ったりもします。僕は今まで基本的に”老害反対!”って立場をとってきました。侮蔑的に使われるFEARゲーとか、最近のシステムはダメだととか、最近のTRPG者はなってないという論調に対して、それはダメではなくて新しいから理解されてないか、もしくは新しい故に未成熟なのであるという立場をとってきたつもりです。でも、そこから離れてその年長者様が大切にしてきたものにも目を向けてみたらいいんじゃないかなぁと最近では思っています。最近の〜〜という愚痴は聞き流して、重要なことは吸収したほうが有意義でしょう。そういった立場に立った場合、無闇な老害弾圧はあんまり良くなく、一見しょうもない意見も真意を探ってみる多様性が求められるかなぁと思っています。こうした意見の変化は、ルルブの表紙問題についての三つの立場 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むを書いてしまったことが大きいです。普通だったら僕はアニメ絵やギャルゲ絵の擁護論を書いているはずだったのですが、いろんな因果でそれとは逆の立場で物を書くことになり、いろいろ勉強になりました。

ただ、そうした”年長者様のご意見”をもってしても満たしきれない、”新しさへの渇き”が僕にはあります。どうしたもんでしょうかね。

そうそう、重要なことを言い忘れました。僕が感じるこうした渇きには、逆にTRPGの新しい分野を自分で開発したり勉強したりする気概のなさも大きく関係しています。例えばscoops rpgの牡牛さんの議論などなんとなく発展性を感じますが、自分で頭を使って議論についていく気概がないため、何がどう新しいのか感じることができないのですよね。