GMの期待とシナリオの幅

たまには参戦しますかね。

今までの議論のまとめ

上記記事に事の経緯がまとめられていますが、鏡さんが”自由なミステリシナリオ”の遊び方を示したのに対し、水無月冬弥さんが鏡さんのいう自由な遊び方とミステリシナリオって相性が悪いのではと疑問を呈しています。

鏡さんのいう自由な遊び方っていのは一言で言うのは難しいのですが、僕の言葉で言いかえるとPL側としてはPL視点とPC視点を分けない遊び方。GMとしてはストーリーテラーとしての役割ではなくレフェリーとしての役割を果たすやりかた。そう認識しております(http://googee.seesaa.net/article/93921307.html)。

それを自由と名づけているのは鏡さんで、それがどういう自由なのかは置いておきます。呼び方は譲れないところだとのことですので、そこをふかく突っ込んでもあんまり建設的な議論になりませんw。ここでは呼び方なんてどうでもいいという立場をとります。管理=思いやりのある、自由=思いやりのないって名づけても別に良いかと思いますw。

お二人のやり取りは大分収束していて、ミステリシナリオの言葉の定義ぐらいしか、すれ違っている点はないのではと思います。

鏡式ミステリシナリオ :街中で人物が事件を起こすことを中心とするシナリオ
水無月式ミステリシナリオ :謎があり、PCが謎を解くことで事件が解決されるシナリオ
  1. 発端は鏡さんの、街中で事件が起こるシナリオでも自由な遊び方はできますよって話。
  2. 水無月さんの反応はPCに謎を解いて欲しいタイプのシナリオは自由と相性が悪いですよって主張。
  3. それに対する鏡さんの返答は謎を解いて欲しいタイプのシナリオなら管理したほうがいい。つまり自由と相性が悪いって言っているわけですよね。

お二人の意見は既に一致しているんじゃないかと思います。

ただ水無月さんの質問の意図は、自分の知らないおもしろいミステリシナリオの運用法を知りたいというものだと思いますので、その観点から言うとちょっと拍子抜けする回答となってしまいましたね。水無月さんはGMが謎を解いて欲しいシナリオでも、PCがそれをあまり考慮せずに動く場合の利点を書いて欲しかったのだと僕は予想するのですが、どうでしょうか。

シナリオっていうのはセッションで対応できる幅のことでは

シナリオっていうのはセッションで対応できる幅のことではっていうのは、こちらのブログでみて、なるほどと納得した意見です。

シナリオがない状態では、何も制約がない代わりに盛り上がりどころもありません。そこからシナリオを作って、多少PCの自由度を下げるかわりに面白みをつくりだしていくわけです。たとえばダンジョンシナリオを作ったならば、ダンジョンの中に面白みがあるわけです。ダンジョンを無視しちゃいますとシナリオは白紙なわけですから、面白みもないわけですね。ここでいうシナリオの幅はほんとに千差万別でダンジョンに入らなくてもよいような自由度のシナリオを作ることもできるでしょう(ちょっとシナリオって言い方は悪いかもしれません。ここで作る物は箱庭でもメモでも敵の戦闘データでも構いません。ストーリー的な形をしてなくてもよいです)。

管理と制限

そのシナリオの幅までプレイヤーの行動を収束させる方法として2つの方法があります。

後のために片方を「制限」、もう片方を「管理」と呼びましょう。

私は、ルールシステムや世界設定に基づく「制限(制約)」と、シナリオ作成者やゲームマスターの「期待/願望」に基づく「管理」とを、明確に分けて考えています。
謎を解いて欲しければ「管理」しましょう - 卓上RPGを考える

鏡さんは「制限」と「管理」を分けて考えているとおっしゃってますが、僕は、”シナリオ作成者やゲームマスターの「期待/願望」に基づく”という観点では、両者は明確には分けることはできないのではないかと思います。

プレイヤーの(PCの)行動を受けて、非プレイヤーキャラクター(NPC)にどのように反応させるか、どのような情報を示すかは、ゲームマスターの「自分が面白いと思う」発想と判断によって決まります。
自由なミステリーを遊ぶ - 卓上RPGを考える

シナリオを作ったらPCが受けざるを得ないような物理的・社会的制限をつける方向にNPCや状況を設定するのが自然ですよね。GMとしてはそっちのほうが”おもしろい”のですから。つまり、シナリオ作成者やゲームマスターの「期待/願望」に基いて「制限」を設けることもあるでしょう。ゲームマスターとしてはレフェリーに徹することもできるかも知れませんが、シナリオ作成者としては、なんらかの誘導をかけるはずです。

今回の場合だったら、PCが謎を解かないとまずい状況から始めるわけです。例えばPCが濡れぎぬを被って、真犯人を捕まえないと自分がお縄になるとかです。これはGMの期待通りに話を進めるために「制限」を設けたわけですが、これは「管理」ではないですよね。管理の場合は、”今回はミステリシナリオをやるので、みなさん謎を解いてください”ってPCではなくPLに直接ぶっちゃけることを指します。この例はPCに”濡れ衣”という設定を押し付けているのでちょっと強引でしたが、もうすこしおだやかな例もだせます。森を通って物を輸送するシナリオを用意したけれども、マップ上、海路と陸路(森を通る)を取れる場合、海路は嵐で使用不可能とするのは「制限」ですよね。

PCの行動をある程度の方向性に絞るために、「制限」を使うのか「管理」を使うのか、若干意味が違います。「制限」のほうが手法としてはうまいですよね。世界観その他をうまく使っているわけですから。でも「管理」のてっとりばやさも中々の利点です。「制限」がうまくないと、抜け穴を探されて結局、考えてきたシナリオの幅に収まらなくなる可能性もあります。それではわざわざ制限を設けた意味がなくなってしまいますね。さっきの例では例えば真犯人じゃない人をでっち上げてもいいし、森の話なら、海路が嵐でも魔法などでうまく対処して出発するなどです。そうすると結局持ってきたシナリオとはだいぶ話がずれてしまいます。

こう書いたものの、鏡さんの言う「制限」がルルブに載っているものだけに限られるとするとちょっと言葉遣いに齟齬が生じてしまいますね。そのあたりまで考慮すると、ルルブからくる制限とシナリオからくる制限ってわけたほうがいいかもしれない。シナリオからくる制限は鏡さん的には「管理」なのかな?

まとめ

長々と書いてしまいました。そろそろまとめます。

結局GMがおもしろいと思うように制限を課すのならば、PCに物理的・社会的制約を課す「制限」も、PLにGMの都合をぶっちゃけて「管理」するのも、結局はGMやシナリオライターのおもしろくしようという「期待/願望」に基いてPCの行動の方向性を絞っているだけです。

では、「管理」と「制限」では面白さにどういう違いが生じるのか、これが知りたいところです。ここから先は適当に述べますが、管理のほうが簡潔な記述になるのでGMとPL間での意思疎通の間違いが起こりにくいですね。しかし制限の場合には、GMが「制限」のつもりでだした条件をPLが「障害」だと受け取る可能性もあるわけです。「管理」せずに「制限」したときのおもしろさというのは、この誤解から生じるごたごたを楽しめるか否かによってくるのではないかと思います。