超目標(勝利条件)からの自由

制限の少ない、という意味で、「自由な」TRPGと言われると、私の頭の中には、北斗の拳の世界が思い浮かぶ。
「自由な」TRPG - xenothの日記

これはhttp://www.rpgjapan.com/kagami/rpg/rpg_2/*1に対するxenothさんの感想ですが、僕はこれに関してちょっと思い当たることがあって面白いと感じてしまいました。

ゲームシナリオのドラマ作法*2の研究5に”「侍」と「グランド・セフト・オートバイスシティ」――自由とミッション”という節があります。この本では基本的に主人公に全編に一貫する目標、”超目標”を与え、それから環境に投げ込むタイプのゲームシナリオの作法を取り扱っています。しかし、この節では「侍」や「グランド・セフト・オートバイスシティ」などのゲームの、超目標が与えられないままゲームが始まる点に注目しています。

これらはわりと有名なゲームだと思いますから、説明は省略しますが、これらのゲームの特徴は”まず生き抜くことが困難な環境に置かれる”ということです。これで最初の話と繋がりまして、たしかにPCがケンシロウでない場合、北斗の拳の世界で生き残るのは大変困難で、生き残るための方法を考えるだけでも、挑戦しがいのある課題になります。ましてや何かのポリシーに従おうと思ったらものすごい腕が必要です。キャラメイクにも力が入ることでしょう。

このゲームでは勝利条件は設定されず、死という敗北条件があるのみです。敢えて言うなら勝利条件は”良く生きる”ということだと思いますが、何が良い生き方なのかはPLまかせです。「自由なTRPG」といわれても漠然としていますが、ここで言う自由とは、超目標が課されることを免れるという意味での自由、又は同じことですが、自分の超目標を設定できる自由なんだと思います。

ゲームシナリオのドラマ作法では、これらのゲームではアクションでは成立しやすいが、アドヴェンチャーやRPGでは成立しにくいと語っています。なぜなら、”PCが生き抜くことすら困難”な環境で”PCが自由に生きる”ためには”PLのゲームの腕が立つ”ことが求められるからです。PCが環境に対して弱い立場な場合、頼れるのはPLの腕のみっていうことですね。アクションと違ってアドヴェンチャーやRPGではPLの腕というものが見せにくいものがあります。ルールを良く知り、生き残られる確率が高い戦法が立てられることがこの場合のうまさでしょうかね。

殺伐とした話ばかりもなんなので、もう少しやわらかいゲームの話もしましょう。これらのゲームの勝利条件がないというところに着目します。http://www.igda.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=49を見ますと勝利条件のないゲームとしてフライトシュミレーションが挙がっています。このゲームには”敗北条件のみ設定されています”。墜落することです。そして墜落をしないことがそこまで困難というわけではありませんが、”飛ぶこと自体が適度に難しくやりがいがあります”。さらに”自由に飛ぶためにはPLの腕が必要”という意味では、今まで述べてきたゲームと共通点があることがわかるでしょう。

ここまでくると、超目標から自由に遊ぶための条件が見えてきたのではないでしょうか。まとめてみます。

PCに目標を与える自由があるゲームの成立条件

  • 敗北条件がある
  • 敗北条件を回避するだけでもやりがいがある
  • PLが課した勝利条件を満たすためにはさらなるPLの腕がいる

僕はやったことはないんで、テキトーなことを言うのですが、トラベラーなんてこれらの条件に当てはまるのでは。