ブクマのコメントのお返事

すみませんね。なんか柄にもなくネガティブなことを書いてしまったためか、皆さんに励ましやら助言などをいただいてしまいました。冷静になってみると、こういう書き方をしなくても良かったのではないかとも思うのですが、まぁ星もいっぱいつきましたし、共感していただけたようなのでこれも良しかなと思います。別に文章で書いているほと腹を立てているわけでもないので大丈夫です。いろいろありがとうございました。

DocSeriさんのエントリーも別に全否定というわけではありません。例えば以下のあたりは共感できますね。

明らかに有用なハンドアウトの効用として、群像劇RPGの実現という側面は見逃せない。予めひとつの事件に対する異なる立場のハンドアウトを作っておくことで、PCとしては対立しつつ、PLとしては協力してひとつのストーリーを多面的に演出するようなプレイである。これは紡がれるストーリーに複雑な深みを与えるもので、巧く極まれば最高の体験となる可能性を秘めてはいる。
TRPG論:対戦から予定調和へ - 妄想科學倶樂部

即興劇に知略はないのか

しかし、引っかかる部分も多々あります。まずは以下。

思考ゲームとして捉えれば、知略を競う要素なしにゲームと呼ぶのは憚られる。ある種対戦的に、GM対PC、あるいはPC同士の知恵の比べ合い。ストーリーの完成はその結果であり、目的ではない。TRPG論:対戦から予定調和へ - 妄想科學倶樂部

僕の誤読ならいいのですが、DocSeriさんが即興劇と呼ぶ形式の遊び方(そもそもこの言い方が気に入らないのですが)は、まるで知略を競わないかのようなものいいです。”いやいや、頭使って遊んでますよ!”と腹だたしい思いにかられ、ついつい以下のネガティブなコメントをブクマにつけてしまいました。

好きならおもしろく紹介すればいいし、嫌いだったら無視するなり、もっとおもしろい方法を提案するなりすればよいのに。なんか嫌なことでもあったのだろうか。
(僕がつけたブクマのコメントです)

自分にはおもしろさがわからんものを、つまらんと紹介するまずさは、馬場論考をめぐる歴史的教訓であるはずなのですけどね。

あと、あんまり知略にこだわりすぎると課題がパズルになってしまう危険性がありそうです。TRPGのおける課題の良し悪しは知恵の比べあいでは決まらないっていうのは、意思決定を重要視するなら分かってもらえそうなものですが。

”誰か一人が脚本を書いて、全員で演じる”遊び方をしたい人がいるのか

次の記事にいきましょう。

TRPGを端的に表現すれば「物語の生成を楽しむ遊び」ということになろう。もう少し説明するならば「参加者全員で物語を作り上げる遊び」である。

そのための方法としては大きく2案が考えられる:

  1. 設定だけ考えて、全員がその場で設定に沿ってありうる展開を提案してゆく
  2. 誰か一人が脚本を書いて、全員で演じる

1では脚本家が主体となる物語を考えはするが、彼の役割は「大雑把な展開を予想し、それを実現するであろう初期設定を考える」程度のことで、それを受けての展開は参加者が各自自由に考えることになる。

2では、物語の生成を楽しむのは実質的に脚本家一人と言える。他の参加者は局所的演出としての演技を考えはするが、物語そのものに対する立場は「観客」である。またTRPGの遊びの本質が物語の生成にある以上、実質的にその意味で正しくTRPGを遊んだものは脚本家ただ一人ということになってしまう。
極論と極論の間 - 妄想科學倶樂部

どうも納得いきません。ハンドアウトこそ「大雑把な展開を予想し、それを実現するであろう初期設定を考える」の結果だと思います。2のように遊ぶことを目的とする人はいないのではないでしょうか。何か失敗したときこういう結果になるかもしれませんが。

GMvsPL

1での最大の対戦相手はゲームマスター対プレイヤーである。
プレイヤーは各自の分担を通して団結しゲームマスター(の用意した状況)の打倒/打開に努める。初期の1型TRPGは本当に対戦的であったし、より物語寄りとなった現在でも「困難な障害を設定する敵」としての意義が大きい。
翻って2では物語上の敵対勢力さえも「PCを引き立たせる脇役」に過ぎず、基本的に困難な障害とは認定されない。競う相手はむしろ他のプレイヤー……即ち「物語の見せ場を誰が奪うか」である。いや、近年はそれすら予め脚本家によって指定される傾向にあるのだが。もはやそこには対戦的傾向はほとんどない。
極論と極論の間 - 妄想科學倶樂部

最初の文を読み、TRPGGMとPLが競い合うものじゃないっていうのは常識じゃなかったのか!なんて僕の常識と違うんだ!と驚きました。内容自体はそのあとを読めばわからなくもありませんが、これをもってゲームマスター対プレイヤーと言うでしょうか。

ちょっとたとえ話をしますけど、先生が生徒に課題を出すとしますよね。これは生徒にとっては乗り越えるべき課題ですけど、そのとき対戦という側面を重視すべきものでしょうかね。また、生徒が自主的に課題をみつけて取り組む場合、対立要素はないですけど、むしろ立派な態度なような。友達どうしで問題を出し合ってもよいでしょうし。”対立”にこだわることは変じゃないですかね。

プレイヤーが課題を解くことは大事だと思いますけど、大切なのはそこに意思決定が生じることで、誰が設定した課題かは問題ではないように思います。ただし一般に、自分は自分に甘いですから他人が出したほうがいい課題になりやすいことは認めます。

分岐の重要性

(2の遊び方は)
シナリオはあまり分岐せず、エンディングも複数存在しないこともある。
極論と極論の間 - 妄想科學倶樂部

このあたりも異論があります。大事なのは分岐がたくさんあるかどうかではなく、分岐が意思決定によって選ばれたかどうかだと思うのですが*1。別にこの部分は全体の主張の中ではあんまり重要でない部分なのですけど、揉めそうな部分をさらっと書いてしまうのはあまりに今までされてきたTRPGの議論を踏まえなさ過ぎていてそこが気になるわけです。

まとめ

ロールプレイ重視の遊び方に好き嫌いがあるのは理解できる話で、それは受け入れられます。しかし、”TRPGでGMvsPLの対立の構図が重要だ”とか"TRPGのシナリオは分岐があるのが特徴だ"というのは、ロールプレイ重視/非重視以前の問題です。
ロールプレイ云々も含めて、こういった微妙なところを、いろんな人が意見を交わしながら知識を蓄えてるのがTRPG.NETやScoops RPGTRPG SEARCHだと思います。揉めそうな部分は慎重な言い方をして欲しくてつい以下のように書いてしまったのでした。

trpgの論考をいくら整理し積み上げても、わかってもらえない無力感。trpg.net, scoops rpg,tprg search、これだけ情報源があっても読まない人は読まない、調べない人は調べないんだなぁ。
(僕がつけたブクマのコメントから)

ハンドアウトなど、何度も何度も議論を呼んできた話題だと思います。今回の議論は今までの議論より深いところまでたどり着いたのでしょうか。今回得た結論はなんなのでしょうね。次回この議論が起こったときにゼロから始まらないように、結論をまとめておく必要を感じますね。

*1:僕もなかなかの馬場主義者ですねw