自由度の切り分け 共同ゲームデザイン 行動宣言およびシーン作成における選択肢の幅

最近鏡さんを発端にTRPGの自由度に関する議論が盛んに行われています。
僕が流れをまとめていますので、是非読んでみてください。

最近の流れだけではなく、過去に書かれた記事も拾ってきたのですが、個人的にはかなり考えが深まるものがありました。これは特に参照する価値があると思います。しかし、ちょっと量が量になので、一度自分でまとめ記事を書いてみようかと。

自由、自由度っていうのは、非常に多岐な側面があり、まず切り分けないと話にならないと思います。
今回はまず、”プレイヤーやGMに関するルールやマナー”というゲーム以前のレベルの話と、ゲームレベルの話にわけました。ゲームレベルでの話では”目標”、”手段”、”物語への介入”と3つに分けて話を進めていきます。

プレイヤーやGMに関するルール・マナー

TRPGにおけるルールといいますと、プレイヤーではなくプレイヤーキャラクターの行動のために書かれていると一般に思われると思います。

しかし、最近ルールというほどまで厳密ではないですが、マナーや遊びを円滑に進める工夫の部分までルールブックに含まれるようになりました。

もっとも代表的なのは”ゴールデンルール”でしょう。

これは、PCの行動を律するものではなく、PLの行動を律するもので、珍しいですね。ゴールデンルールの生まれた経緯はのば通らじおで社長が語ったところによりますと*1、刑法に対して刑事訴訟法があるように、ルールに対してルールの適用に対するガイドラインもあったほうがいいのではないかという発想によるらしいです。

僕は鏡さん*2や、回転翼さんが話している自由*3っていうのはこのレベルのことなのではないかと思いますが、違うのかもしれませんw。

目標の自由度と共同ゲームデザイン

PLがPCの目標を決める自由度という意味では、RPGにはあんまり自由度はないですね。MMOともなるとまた話は変わってくるんですけど。CRPGでいうと悠久幻想曲ガンパレードマーチなどはこの部分の自由度が高そうです。

共同ゲームデザインっていのは、最近高橋さんがよく口にされている言葉です*4。この概念はTRPGにおけるいろんな事象をうまく説明できそうな気がして期待しています。きっと高橋さんが詳しくまとめると思いますので、僕はこの言葉から想像される雑感を述べようかと。

この概念を用いる例として、こんな場合を挙げてみます。

GM:おもむろに地図を広げる。
GM:「今、君たちはこの町にいます。昼間何をしていても良いですが、何か用がないなら酒場に入り浸っていることでしょう。さて今日はどうします?」

このように、依頼も何もなくただやりたいことを聞いた場合です。

この場合、まだPC達には目標がありません。面白い目標を設定することからゲームが始まります。ここをみんなでやることが”共同ゲームデザイン”の部分なんじゃないかなぁと僕は思います。

A「あっ海があるね。なんかこの島に宝とか埋まってそうじゃない?宝探しがしたいでーす!」
B「なんかこの森に空き地みたいな場所があるけど…これは○○に違いない(世界観によりいろいろ)。ここの様子がみたいんだけど」
C「傭兵は依頼が来るまで動かないもんさ。依頼が来るのを待ちます」

以上のように、わいわいやりながら、今日何をするのか決めていく。これが分かりやすい共同ゲームデザインかなぁと。

以上は分かりやすい例ですが、実際にはもっと細かいレベルでゲームデザインが行われていると思います。
例えば、単純なダンジョンシナリオで、PC間の友情を芽生えさせることを目標にしたり、道化を演じることを目標にしてみたり、はたまたかっこよく死ぬことを目標にしても良いですね。こういう目標を設定する段階の自由と共同ゲームデザインには深く関わりがあると思います。

データ型と非データ型

こういったかなり幅広い状況に対応するためには今のところ二つの方向性がありそうです。
Hikawa TRPG Laboratory - 氷川 TRPG 研究室のコメント欄で芝村氏が語っていますが、世界観に関する膨大なデータを用意するか、その場で毎回対応するかです。

戦闘以外の、例えばお金儲けとを目標にゲームをする場合。ルルブで戦闘ルールしか提供されないようなシステムでは、お金儲けのためのほぼ全てのゲームデザインをGM及びPLがその場で行わなければなりません。例えば博打をするにしても、その博打にPCの能力値をどうやって反映させるのかなどはGMに委ねられます。こういうのはなかなか難しく、つまらないことになることも多いでしょう。まぁ程度によりますが…。

世界観や人々の生活などが詳しく分かっていると、その材料を使ってうまくゲームにすることができると思います。上記の場合も、例えばモンスターのデータが既に構築されているシステムではより楽に遊べますね。モンスター以外のデータも充実していると、うまく使えるかもしれません。

一方Aの魔法陣は非データ型を謳っていまして、何もかもをGMとPLの合議で(最終決定権はGMにある)決めていくような形をとります。先ほど難しいと述べた、その場で状況を決定していく方向です。なんでこんなことがうまくできるかといえば、合議の仕方がうまく整理されているからなんですが、そこはAマホのルルブを読みましょうw。

あと、ここで注意をしておきたいのはAの魔法陣では目標は一般にGMが決めるものなので、PLが目標を設定する自由度があるといっているわけではありません。そこそこ遊べるものとして、GMが提示できる目標の幅が広いという意味です。

行動宣言・手段の自由度とAの魔法陣

TRPGでは、どんな手段で物事を達成するかに関してはかなり自由度が高いといえるでしょう。剣でなぐりつけるほか、たいまつを放ってもいいわけですし、交渉で解決したり、逃亡してしまうという手もあります。ただ、システムによって得意な処理と得意でない処理があるのは確かです。交渉ルールのない中で交渉をするっていうことはGMとPLのゲームデザイン能力が問われるでしょう。

ここでは、前節に引き続きAの魔法陣の話をします。Aの魔法陣は手段の自由度に関しては圧倒的ですね*5 *6。このシステムではどんな行為をしようとゲームになります。よく花見が例に挙がりますが、食事をしたり、トイレにいくことすらゲームになります。
戦闘だろうが交渉だろうが、逃亡だろうが、判定が一本化されているので得意不得意がないんですね。ただし逆に、ふつーに戦闘がしたいなら違うシステムで遊んだほうがやっぱり面白いと思いますけどw。

また、データ型のシステムでもおもしろさを提供はできるでしょう。食事をしたり、トイレにいくことすらルルブで規定するような方法になります。この場合には逆に判定を一本化しない面白さがあるかもしれませんね。ただしルールが重くなってしまって手に負えなくなりがちかもしれませんが…。まぁ好みもあると思います。

物語への介入の自由度とハンドアウト・メタ視点の有無

さて、物語への介入度の自由度ですが、まぁこの辺はhttp://nozomism.hp.infoseek.co.jp/Arianrhod/Talk_about_Meta.htmlにまとまっていてあまり付け加えることはありません。

シナリオハンドアウトの場合で端的に述べましょう。ハンドアウトにより、シナリオ中にでてくるNPCとの関係が記述されるわけですが、もしこれがなければ物語への介入度は逆に浅くなるといえます。例えばハンドアウトなしで仕事を依頼される場合からハンドアウトありで依頼人の友人に関係が変わった場合、依頼人を見捨てるという選択肢はとりづらくなりますが、依頼されただけでは適わぬような説得も可能になります。
シナリオの中心にPCをもってきたり、PCに近いNPCをもってきた場合、より深く物語りに介入できる(=自由度がある)といってよいのではないでしょうか。

ところでちょっと話は外れますが、メタプレイの起源ってレレレにあるそうですね*7

『レレレ』のこのようなルールが、俗に「メタプレイ」と呼ばれるプレイスタイル(PCではなくプレイヤーの発言がシナリオを動かしていくプレイスタイル)への理解のためにサンプルとして使われていったのである。

「メタプレイ」とは何かをもっともわかりやすく教えることができるゲーム、ということで『レレレ』の評価は現在でもゲームデザインに関わる者たちの間では高い。

メタプレイは翻訳を担当したスザク・ゲームズ以上に、F.E.A.R.製のゲームにおいて顕著で、特に菊池たけしのリプレイなどでは「PCではなくプレイヤーの発言がシナリオを動かしていく」ということが顕著にあらわれるようになった。
イット・ケイム・フロム・ザ・レイト・レイト・レイトショウ - Wikipediaから

このあたりは"プレイヤーやGMに関するルール"とも関係が深いと思います。PLとPCの区別をはっきりつけ”おもしろくなるよう”、意図を持ってPCを操っていくようなスタイルの原点はレレレのようなプレイヤー、俳優、役という入れ子から生まれたんですね。

シーン作成

クラシックなTRPGでの問題に対する解決手段の自由度が高いのと同じように、ダブルクロスアルシャード、天羅のようなシステムでは、物語介入におけるシーン作成の自由度が重要視されるのではないでしょうか。シナリオクラフトなんかはシーン作成の自由度が高いわけで、ゲームに応じた自由度が提供されていると思います。