愛と気合でゲームマスターレベルの〈目標〉デザイン

ちょっとタイトルでふざけちゃいましたが、本記事はgensoyugiさんがggincさんの記事に疑問を呈していて、他の人がどう思っているのか知りたがっているみたいでしたので、僕の意見を書こうというものです。

システムデザイナーのモティベーションに関する対立?

参考記事は以下。

僕なりに構図をまとめますと、TRPGシステムを作るときのモティベーションに関する対立なのかなぁと思います。

ggincさんの記事は”前編”とあるようにまだ本論に入ってないので、”こういう記事です”と紹介することが難しいのですが、TRPGシステムを作るときのモティベーションという観点から、この記事を解釈するなら、システムデザイナーが考えるゲーム性を実ゲームに間接的に反映させることがデザイナーのモティベーションだと主張していることになるのですかね。

いっぽうgensoyugiさんの主張では、システムデザイナーは自分がおもしろいと思うことが直接的に生じるようにシステムを作ることを目的としているはずだということになりましょう。

Aの魔法陣のルールブックを読んでいるかという前提知識の違いで、ggincさんの記事に対する理解度は全然かわってくると思われ、ルルブを読んでいる僕からすると、単に話が通じてないだけかなぁと思いました。もうすこし噛み砕いた記事を書きたいなぁと思いましたが、対立点がシステムデザイナーのモティベーションとなると、ほんとしょぼいシステムしか作ったことのない僕が答えるのもなんだか的外れな気がしていまして、すぐにこの記事を書くことはできませんでした。

初めての自作システム

少し話は脱線しますが、以下のTRPGの初心者の方が自作から入ろうとしている記事を読みました。

この話は僕には全然笑えない記事です。僕がTRPGに出会ったのは小学4年生ぐらいでして、文庫本すらそんなに自由には買えない年頃でした。だから僕も自作から入りましたよw。PL一人GM一人(僕です)で始めて、こりゃおもしろいって思って仲間を集めたり、ソードワールドのベーシックを買ったりしました。まぁ自作してみると市販のやつがどれだけすごいのか分かりますのでとりあえず自作してみるのもいいかと思います。まぁ遊戯王から入るとなると少し誤解が生じそうなので、みなさんはそこを心配しているのだと思いますがw。

ここでも紹介されているように、TRPGっていうのは”作る遊び”でもありますよね。

ゲームマスターのセッションデザイン

まぁそういうことで、僕はほんとしょぼいシステムしか作ったことはありません。このお話に少し的外れな返答をしてしまいそうです。しかし、僕はゲームマスターもまたゲームをデザインする立場の一部を担っていると思っています。よってゲームマスターの立場からこのゲームデザインモティベーションの話に参加できるかなぁと思いました。

システムデザイナーはルールブックを通じてゲームマスターやプレイヤーにゲームを提供しようとし、ゲームマスターはシナリオや判定を通してプレイヤーにゲームを提供しようとするのですよね。図で整理すると以下のような感じです。

システムデザイナー  →ルールブック  → ゲームマスター&プレイヤー
ゲームマスター    →シナリオ・判定 → プレイヤー

まぁこれもAの魔法陣のルルブに書かれている概念を援用しているので、ここがお二人の話がかみあわない原因の一端だと思うのですけどね。
小説が完成する瞬間はいつでしょうか?著者が本を完成させたときでしょうか?そうではなく、読者が小説を読んだときに完成するという考え方があります。これと同様に考えれば、TRPGはデザイナーがルルブを書き、GMがシナリオをつくりPLがプレイしたときにこそ完成するものだというアイデアを理解することができるでしょう。Aの魔法陣の書き方ではルルブっていうのはRPGツクールにたとえられています。そこからGMRPGを作るっていう考え方なんですよね。

(システムデザイナーは)
ゲームマスターの“負担を軽減”するために、代わりに〈ゲーム性〉について考える
ゲームマスターに〈ゲーム性〉構築の“楽しみを与える”ために、不完全な部分を残しておく
〈ゲームトークン〉の死と、システムレベルの〈目標〉デザイン(前編) - God & Golem, Inc.から

”不完全”っていうのは、上記で述べた程度の意味ですよ。単にルルブの段階でゲームは完成するものではないってことを言っているだけなのではないかと。

RPGデザイナーは、システムごとに異なる、魅力的な“隠れた目標”を設定することで、そのRPGシステム独自の価値を与えようとしている。
〈ゲームトークン〉の死と、システムレベルの〈目標〉デザイン(前編) - God & Golem, Inc.から

TRPGデザイナーは、自分の創りたいものややりたいこと、それぞれの感性よってTRPGをつくります。
 当然、自分が魅力的と思うことや、楽しい、面白いと思っている事ををルールや設定に組み込んでいくので、自然とオリジナリティはでてきますし、目標もルールに組み込まれている
愛と気合でTRPG作成 : 現代異能バトルTRPG 魔獣戦線BLOG

ここでお二人の立場に何一つ対立はありません。ggincさんが”隠れた”って言っているのは、デザイナーの意図が直接書かれているのでなく、ルールを介して表現されているからです。例えば、システムデザイナーの意図が”みんなでわいわい協力しあう楽しさを表現したい”ということだったら、”仲間を助けるスキルが便利で強い”システムを作るわけです。別にルルブの最初に”このゲームはみんなでわいわい楽しんでください”っていうコメントをつけるわけではありませんよね。小説でテーマを直接書かないと同じことです。テーマは物語を介して生じるはずです。

単に”隠れた”って言葉の意味するところが伝わってないだけだと思います。

でっそういう小難しいこと考えてゲームデザインしてるの?

 まあ、これはあくまで僕の考え方なので、みんなの意見が聞きたいです。
愛と気合でTRPG作成 : 現代異能バトルTRPG 魔獣戦線BLOG

今回の話をGMがシナリオを作る話のアナロジーで語りましょう。こういう小難しいことを考えてシナリオを作っているかというと答えはYESです。

例えば、みんなの協力を引き出したいなら工夫して戦わないと勝てない敵を出すし、強大な敵に打ち勝つ快感を味わってほしいなら、正攻法で強い敵をだします。でも、今回は協力して戦ってくださいねとか、いちいち言わず、シナリオとデータを用いて表現しますね。それが伝わればGMとしては成功だし、伝わらなければPLがいくらおもしろかったですといったところで、軽い失敗感を味わうのですw。

もうちょっと簡単な比喩としては、GMは”PLに自由に考えてほしいなぁ”っていう部分を残すことがありますよね。GMは大きな目標を設定はするものの、中間的な目標やそこまでの道程はPLたちに考えて欲しいと期待していると思います。そしてPLがわざわざ自由に動ける部分を残します。というか、むしろPLが自由に動けるように苦慮します。GMとしては何もかも自分で決めちゃったほうが楽だし安全ですよね。しかし、それではPLがつまらなかろうと思うので、わざわざ高い自由度が生じるように状況設定を工夫するのです。このアナロジーからシステムデザイナーもGMの自由にできる部分を残す…とまぁこういったところなのではないでしょうか。