マチ育ちとムラ育ちの英雄属性〜TRPGにおける共同体〜

はじめに

ちょっと何回かにわけてTRPGにおける共同体概念の利用法などについて述べていこうと思います。もともと、僕の問題意識は刺激したのは、高橋志臣さんの以下の記事です。リンク先の記事のコメント欄も参照してみてください。

サイバーパンクはテクノロジーアイデンティティとの相互影響関係についてはたいへん熱心でしたが、テクノロジーが社会倫理やその中に居る共同体を具体的に、どのように変容させるのかについては、ややステレオタイプで近視眼的なところがあったと思います。
God & Golem, Inc.から引用

次回から先は僕の考えとかもでてくるんですけど、今回は正直大塚英志の人身御供論の共同体と英雄属性に関する結論を紹介するだけだなぁ。でもとりあえず一番簡単なところから始めなきゃいけないと思ったんですよ。

キャラクターの背景としての共同体

”PCがある共同体に属している、あるいは属していた”というのは、まず、そのPCの背景を説明するものですね。これは以下の論考におけるキャラクタープレイを補助するものです。

今までまじめな感じで話してきたのにいきなりおもしろおかしい記事にリンクしてしまいます。以下の記事は<グレート><バトンを食べていきる><送り狼>とか数々のおもしろいふたつ名をもつ白銀の狼さんのおもしろキャラ、ジョニーの設定に関するものです。

 …… しかし見れば見るほど地味なステータスである。平均値より優秀だが、平均の範囲内に全てが収まるあたり、村一番の弓取り、といったフレーズが頭に浮かぶ。もちろん近隣の村々を周ればいくらでもいるタイプ。クラスに1人。学校全体では数十人。いわゆる領地の括りで見れば何百人といる程度の優秀さ。
 これを前提として、普通っぽい男の子が普通に英雄に憧れて冒険者になっちゃった、というコンセプトで作ってみることにする。
ダイスの言うとおり ジョニー・ザ・ヒーロー その1から引用

 ここまで考えて、はたと思い至る。

 ごく普通の村落に暮らしていたごく普通の男が冒険者になるわけねぇ。
ダイスの言うとおり ジョニー・ザ・ヒーロー その1から引用

この普通の男がどういうねじれた過程を経て(笑)冒険者になるのかは、リンク先を参照してください。笑えます。

まぁそれはともかく、この記事の教訓としては、”普通の村で普通に暮らす若者は普通冒険者にならない”というものです。

<ムラ>うまれの冒険者は<マチ>を目指す

冒険者っていうのは、普通の<ムラ>の暮らしよりもハイリスク・ハイリターンな生き方なわけですよね。そういう風に生きるためには<ムラ>にとどまるのは近道ではありません。基本的にムラを出てマチに向かう必要がありますね。
英雄志向、成功志向…そういった性質をだすためには、なんらかの意味でムラを捨てなきゃいけません。そういう意味では自分の村が好きで好きでしょうがない人が冒険者になるためには一工夫必要なわけです。一番簡単なのは、魔物に襲われて、村がなくなっちゃうとかですね。ありがちです。ただ、こういった抽象論をやる理由はありがちから逃れるためでもあります。要するに精神的な意味か物理的な意味、なんらかの意味で村を捨てる理由=冒険者になる理由なのです。

<マチ>うまれの冒険者は非日常を求める?

それに対して<マチ>で生まれた人間が冒険者になるのはもっと困難です。マチには命をかけなくてもお金持ちになる手段があったりします。先ほど<ムラ>生まれの人は共同体を捨てる理由が、冒険者になる理由だと述べましたが、<マチ>で生まれた人が<ムラ>に行って成功する…っていのうは想像しにくですよね。<マチ>生まれの人は捨てる共同体がないのです。<マチ>生まれの冒険者は新天地…フロンティア…が想像しにくいんですね。

じゃあ<マチ>生まれの冒険者に多い、”冒険者になった理由”は<スリル>です。たいくつな日常におさらば。

しかし、<スリル>を求めるっていうのは、冒険が”娯楽”なんですよね。だから冒険がお手軽になったり、お金もうけに積極的でなかったりします。これはこれで気軽に楽しく遊べるんですが、シリアスになりにくかったり、譲れない信条を持ちにくかったりします。大都市のまわりばっかりで冒険をしているあなた(wローカルな話だけど…わりとTRPG遊戯会のトロウのことですなw)、<マチ>の冒険でよく足りなくなるのは、フロンティア感だと思います。

あなたのアイデアを刺激できならいいなぁ。