細分化された元オタク達への追悼文。あるいは唐沢俊一×岡田斗司夫著 オタク論!の書評

オタク論!

オタク論!

あるいはも何も要するに書評なんですけどねw。なんかいつもみたいに書名をタイトルにしてしまうのも、もったいない感じがしてつい凝ってしまいました。

紅茶さんとこや大本のhttp://d.hatena.ne.jp/AKIYOSHI/20070508#p1なんかは読んでいたんですけど、いまいち読む必要性を感じていませんでした。

でも、現代のエンターテイメントぶったぎり - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むで書いているとおり、http://www.geocities.jp/wakusei2nd/taishou32.htmlにどうも腑に落ちなさを感じていまして、まぁそれはオタクって言葉の使われ方にあるんじゃないかなぁと思い当たった次第です。

『僕はオタクじゃない』なんて言うのは、かっこ悪いと思っていたし、事実オタクだろうと僕は思っていたのですが、http://www.geocities.jp/wakusei2nd/taishou32.htmlを見ている限り、ここで言われているオタクって僕のことじゃないんじゃないって感じが強くして、ああっ僕はもうオタクの中心からは外れたとこにいるのかなぁと感慨深くつぶやくのでした。
ハルヒがどういう結論になるかとか、これからセカイ系からサバイヴ系の時代になるとか、そういうことが自分の問題として捉えられなくなってきましたね。ものすごく他人事な感じがしてしまいます。これ以上オタクって言葉で自分達を代表させるのはいらぬ混乱を招くだけのような気がしますね。まず、オタクというときには○○オタクと必ずジャンルをつけることが混乱を避けるもとだと思うのですが、このメディアミックスの時代にアニメとかラノベとかそういうジャンル付けが果たして妥当かどうか微妙ですし、漫画オタクとかいったところで多分漫画オタクの中でも話が通じない段階に来てますよね。言ってしまえばハルヒオタクの中で話しが通じるのか?僕にはこれすら疑問です。

そこでオタクイズデッド!

オタクイズデッドっていうのは去年の5月に新宿のロフトプラスワンで行われた岡田斗司夫トークイベントです。書こうと思って調べてみたら、あんまりにもたくさん資料があるので読むのに辟易してしまいました。それと同時に、僕がいかにこの話題に乗り遅れていたのかもわかりましたね。

ただ、わりと岡田斗司夫の意図が誤解されているみたいなので、あんまり読まずにこのページ参照っていう手段もとれないのがつらいところです。しょうがないのでイベント参加者側の受け取り方は無視して、てっとりばやく本人の言葉の引用で済ませましょう。

あくまで岡田斗司夫の主張ですが、

僕は「最近の若いオタクはダメだ」という世代論を語ったんじゃないです。
(中略)
このイベントで僕が言いたかった問題の本質は、「オタク共通の誇りや、共通の文化のようなものがなくなってきている」ということです。
本著188、189ページより引用。

とのことです。

要するに若い世代に限らず、今を生きるオタク達は、他のオタク達と話が通じないし、通じなくてもいいと思っている。僕が上で述べたとおり、僕はサバイブ系が流行ろうと流行らなかろうと、けっこうどうでもいいし、ハルヒを萌えのみで楽しむオタク達の気持ちをわかろうという気がまったく起きない。なんかしょーもない気がして、よく調べようともしないんです。わかりそうな手触りがないんであきらめちゃっているんですよね。

そういうお互い話の通じない連中どおしを一つのオタクという文化圏で囲むことに無理がある。これがオタクイズデッドの本質だそうです。まったくもって同意してしまいました。

そのほかにもこの会にはおもしろいことがたくさん書いてあるので、立ち読みするならここですよw。

僕は、そのときそのとき思ったことを書き残しておいてあとで自分の軌跡として見つめられたらなぁと思ってがんばってブログを書いているわけです。書評だらけのブログなんでが、きっとそのときそのときの考えかたが現れているはずです。

誰かがオタクを代表することはできない。
(中略)
だったら個人個人が「僕はこれが好きです」と言うしかないんですよ。
僕はそれを「プチクリ」と言ったんですが、自分が好きなことについて、なぜ好きなのかを自分の言葉で隣の人に言うしかない段階に来ているので、オタクは死んだよと。
本著198ページより引用。

僕のこういう行動もこういう潮流の一環なんでしょうかね。

マンガは難しい

もうひとつおもしろかったトピックを紹介します。
今の若い人たちが「マンガ難しくて分かんないんですよね〜」って言う話です。

確かに正直マンガもメタだのなんだの難しいもんは難しいですよね。
ハルヒの話に戻りますけど、ハルヒのあのメタさ度合いを楽しむためには、きっとまずミステリにおける叙述トリックの隆盛とか、キャラクターと世界観のデータベースに基づく設定決定法の潮流とそれを意識的に行う斬新さの理解などが必要です。ちょっと中学生に要求するにはきつい教養ですよね。

デスノートに関しても、”心理戦をどうマンガという表現媒体で行うか”に着目して読んでいたので、人形を使ったシーンに感心したり、最後のほう字ばっかりになってがっかりしたりしたんですが…、そういう読みを小学生に期待するのも酷ですよね。また、サヴァイブ系みたいに思想の潮流に結びつけたりして遊ぶのもなかなか高度な読みで、なかなか万人向けではないかもしれませんね。

大人が読むことを意識してマンガが難しくなりすぎているのかもしれません。
マンガが難しいなんて聞くと僕らは、これだからゆとりは…とか言いたくなりますけど、実際問題、高い教養が必要とされているので、読み手を馬鹿にするのは早いんじゃないでしょうか。

一方マンガなんていうものにそれだけ高度な教養をつぎ込もうとする馬鹿さ加減もあるわけですから、マンガを読むのに知識を強要するってのもいかがなものでしょう。お互いの感受性の違いがわかって、幸せに暮らすのが良いのではないでしょうか。