現代のエンターテイメントぶったぎり

紅茶さんとこでリンクされていた、http://www.geocities.jp/wakusei2nd/taishou32.htmlは読んでいて楽しかったです。

オタクの恋愛観について

最初の第一部の総括がまず説得力がありますね。でも根本的なところでいまいち納得がいきません。

本田透さんの主張にはハッキリ言ってほとんど賛成できないんだけど(笑)、唯一賛成できるのが「萌え」と現実の恋愛問題は無関係ではないとカミングアウトしてしまった件ですね。

オタク言説の流通について、この2年で何が一番変わったかというと、「恋愛論」が全面に出てきたことです。もともと、アニメやマンガといった虚構性の高いメディアは、日本では70年代から今日に至るまで、コミュニケーション弱者のための広義のポルノメディアとして消費されてきたわけです。
http://www.geocities.jp/wakusei2nd/32c.htmlから引用

彼女がいてもAV見るし、エロゲーはやるでしょうに。僕にはそれとこれとは別腹のような気がしてならないんですけどね…。となりの801ちゃんとか、おたっぷるの様子を見ますと、作品と現実ははっきり別れてることは明らかなのではないでしょうか。そこの混同はギャグとしては成り立つとは思いますけど…。

上野千鶴子の本で昔読んだんですが、AVにおいても男性の主体性は減少しているようで、近年では男優が写らないように工夫されているとのことです(うろ覚えだけど)。これを極限まで推し進めると少女達のかわいい日常観察日記的なものになりますが、ここでは男性というものは観察者としてしか存在しませんから、少女と関係を築くも築かないもないと思うんですよね。萌えってどっちかっていうとこっちの方向で、二人の関係性を築く築かないが問題になるのが恋愛だと僕は思います。この噛み合わなさは言葉の定義が違うせいなのかなぁ…。まぁなんにしろ本田透の言っていることは全然わかりませんねw。

ハルヒ関連

それと関係する話題としては、涼宮ハルヒの憂鬱に関する話で、涼宮ハルヒの憂鬱は、ものすごく非人間的なお話で、内面を考察して意味があるのはキョンハルヒだけですね。でもキョンって語り手のくせに、ことあるごとに読者をだまそうとしてきますよねw。そのあたり僕はあんまりキョンには感情移入できません。よってキョンの立場でオタクの恋愛観を話すのにはいまいち納得いかないものがありました。
僕はそれより何者でもない自分が悔しくてつい突飛な行動をしてしまうハルヒのほうに感情移入できます。そうなってくるとキョンというのは自分の突飛な発言にも付き合ってくれて、でもまともな発言で日常との接点を作ってくれる存在です。要はオタク理解と現実対応力のある相方募集って話になるんでしょうか…。これなら話はわかるかもw。僕がしているのは、特異な少女と平凡な少年が出てくるタイプのギャルゲーでよく行われる典型的な読み方ですね。読み方がギャルゲー的すぎるのだろうか。

大奥 ハチクロ

まぁそれはともかく『銀魂』や『大奥』『フラワーオブライフ』が取り上げられているのには好感触です。僕はよしながふみは熱いと思うんですよね。リンク先ではこのあたり

ハチクロ』の話は期待の大きさゆえの不満なんでしょうね。僕はハチクロの最終巻の感想は書いてないようで感想が思い出せません。今となってはそんなに悪い印象は持ってないんですけど…。やっぱり最終巻のときの感想はがんばって書かなきゃだめだなぁ。

ファウスト系について

http://www.geocities.jp/wakusei2nd/32v.html
ファウスト系の作家について、ここで言われている話はいまいち賛成しかねますね。
まぁ僕もファウストは最後のほうはおもしろくなくて買いませんでした。理由は、”いつまでも決定しない状態を長続きさせられない”からです。ここまではここで言われている通りでいいんですけど、もっとも典型的な滝本竜彦にしても”決定しない”ことを良しとはしてなかったでしょう。決定しなきゃいけないのに決定できないからこそ、ひきこもりがストレスフルになり、それを書くことが共感を呼んだんだと思います。
絶望しているから外になんて出たくない"なんてまとめてしまうのはちょっとかわいそうですね。

佐藤友哉に関しても、非常に最近のことですが三島賞をとりました。これは彼の書くものが、”身体性を持った、文学や小説”として認められたってことではないでしょうか。まぁ僕も最近まで知りませんでしたけどねw。講談社から新潮に移ったのが良かったのかな…。彼はもともと身体性のある文学が書きたかったんじゃないでしょうか。時代の雰囲気にあったライトノベルを書いて売れたいってところを諦めたところが成長だと思います。

西尾維新はあんまりにも多作すぎて追うのがめんどうってこともありますし、戯言シリーズの最終巻は単純におもしろくなかったので、僕は逆に評価低いんですよね。なんか西尾維新はたくさんでるから買っただけの満足が得られないんだよなぁ。りすかは好きなんでもしかしたら買うかもしれませんけどね。時代の雰囲気にあったものが書けることが偉いわけでもないでしょう。ライトノベル作家はいつかは重いものも書かないとあかほりさとるを目指すことになるんじゃないですか?それも苦しい道だと思うんですけど…。

ちなみにファウストの編集長、太田克史は新展開として”世界”を狙っているみたいです。

ポストモダン社会で青春の日々を過ごさざるを得ない思春期の自意識から派生する魂の問題は、今や世界共通のものだと僕は考えます。
http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/sengen.html

実際短期的にはこういうのもはやるかもなぁって思いますね。でもまぁ人は悩む期間が長すぎることには耐えられないものなんで、きっと長期的には廃れると思います。

まとめというか…

まとめは特にありません。リンク先は前提さえ認めれば説得力があるのですが、僕はいまいちそこが疑問です。僕はエンターテイメントの作品をみて、オタクのメンタリティ自体を語ることそのものに説得力が薄いように感じました。http://www.geocities.jp/wakusei2nd/32b.htmlにもあるので自覚的なのかもしれませんが、1作品がオタク文化に与える影響が弱まっているように、作品がオタクのメンタリティに与える影響も弱まっているのでは?なんたるポストモダンでしょうね*1w。

*1:ここで言うポストモダンっていうのは、オタクという共同体が多種多様になっていて、一つの切り口から包括的に語ることが難しいのではないかという意味。あんまり深く考えないでw