TRPGで描かれる死
上でリンクされているゲームっていうのはだいたいCRPGの話です。じゃあTRPGにおける死の表現の特異性なんて書いてみようかなぁと思います。まずNPCの死はまぁCRPGとほぼ同じなので割愛するとして、PCの死が問題ですよね。
自由に行動できるリアリズム ふたたび
CRPGの場合は行動選択の自由があるといっても、それは開発者の想定するものに限られています。しかしTRPGともなれば、自分の想像できる行動原理に合わせた行動原理を取るでしょう。そういった意味で、TRPG内のPCはPLにとって非常にリアルな存在に感じるかもしれません。
ロードス島戦記の頃の遊び方はともかく、今の遊び方では、自分のキャラのロストは一般にけっこうショックですよね(システムにもよりますが)。この喪失感を小説で出せているでしょうか。周りのプレイヤーをみているとキャラをロストすると数日へこんだりしてますよね。
まぁ僕は実はキャラをロストしたことがないので*1、全ては想像に過ぎないわけですがねw。僕はキャラが死なないようにけっこうデータ的にガチで作っちゃうんですよね…。パラメータが低い奴はあんまり無理させないし…。まぁそんなわけでこれはキャラのロストもしたことがない奴のたわごとかもしれません。
多人数プレイにより生じる自己の死
今はMMOなんて流行ってますけどこのCRPGにおける死の議論には案にPLが一人だという暗黙の了解があり、PCが死んでもゲームが継続する場合についてはまだノーマークなんじゃないでしょうか。
MMOやTRPGにおいてはあるPCが死んだとしてもそれこそリセットせずに続けるケースが多いと思います。全滅ならゲームオーバーでしょうが、あるPCが死んだからって他のPCのゲームは終わってないわけですからゲームは続行です。これは多人数でプレイしているからこそ生じる状況ですね。一人用CRPGでは例えPCの死であっても、NPC的な死となりませんか。他にメインとなるPCがいて、それが脇役のPCの死を見るという形になります*2。
それを思うと、TRPGは自己の死を描きうる特殊なメディアでは?といいう疑問が浮かんできます。
ゲームの形式にすることで、あらたな文学を生む可能性がありますよね。