ついったーはくだらない?

SNSとかツイッターがどう使われていくのかも議論になりました。

具体的なソースは微妙ですが、ツイッターとかを使う理由としてよく”つながりが欲しい”ってのが挙げられます。僕はこれに共感しません。あんまりつながりが欲しいタイプではないんですよね。研究のためには1年でも3年でも一人にして欲しいタイプなのです。なのでラインとかフェイスブックは不義理にならない程度にメンテナンスするって感じです。あんまり積極的に関わらないという意味では放置に近いんでしょうか?若いうちはそれじゃ駄目な感じもしますけど、もう人脈もおよそ形成されていますから、ゆるいメンテナンスでよいと思ってます。僕は基本的につながりよりも孤独を愛せよと思ってるんですよね。僕が知りたいことは世界中の誰も知らなくて引きこもって自分で考えるしかないのです。自分の生活をツイートして、なんとなく人の生活をみて共感したり、安心したりすることにあまり意義が見いだせません。

この観点からは、子供もあんまりツイッターを使わないほうが良いんじゃないかと思いました。一廉の人になるためには一人や孤独と仲良く付き合わないといけないと思ってます。少年老いやすく学成りがたしという言葉もあるぐらいなんで、一つのことを極めるってかなり大変なんですよね。学問でも音楽でもスポーツでも良いですが、で、それを極めるのって、絶対一人で頑張らないといけない時期がある(というかほとんどそうなのでは?)ので、それは精神性として他人と繋がって安心するようなものとは真逆なような気がしてます。

ただ、僕はパターナリスティックな規制は嫌いなので、使うか使わないかは子供が自分で決めたほうが良いですね。

また、そもそも”つながりが欲しい”じゃなくて、ちゃんとした情報収集のツールとしてツイッターは使えるという意見ももらいまして、確かにそれはその通りかとおもいました。ツイッターがくだらないというより、ツイッターのある種の使い方がダメなんじゃないのってのが結論です。