都条例可決に関して

青少年の健全育成に関する都の条例、可決してしまいましたね。残念です。

僕が確認した限りでは、テレビでも何回か放送があり、本当に規制は必要なのか、あまりこの問題に興味がない人でも疑問に思い始めたところではあったと思います。

早急に可決するため、条文が締切りぎりぎりに開示され、議論の時間が少なかったですし、民主党の中での会議で全体の方向性が決まってしまい、過程が見えにくい中での成立でした。

都知事や副知事は単なるゾーニングであると明言しているわけですから、出版業界もそのように受け取って自主規制の範囲の拡大はしないでいただけると良いかと思います。

また、我々も条例が拡大解釈されないか、注視する必要があるでしょう。まともな知事が出てきて、こういうどうとでもとれる危ない条例を改廃していただくことを望みますね。

ここからは僕の意見となりますが、強姦ものや近親相姦ものの漫画があったとして、さらにゾーニングされてなかったとして、子供が見たいと思うんでしょうかね。僕は小学生にはそんなこと分からないと思います、昔ガンダムみてましたけど、ロボットが戦っててかっこ良い以外の印象は残ってないですよ。子供は難しいことはわからないし、難しいことを求めてもいないのではないでしょうか。

一方、高校生ぐらいになって、強姦や近親相姦の意味が分かり、そういうのを読みたいと青年がおもったらどうでしょうね。僕は読ませてあげるべきなんじゃないかと思うのです。人間は賢くて情愛があって正しい行いをするという側面もありますが、人間は愚かで目先の快楽にとらわれ、とてつもない失敗をしてしまう、そんな側面もあります。高校生ぐらいになったら当然二つの面を知るべきです。

ここでちょっと補足がいると思うのですが、僕は人間について考えさせる”良い”作品だけ残れば良いという意見ではありません。例えば今回規制される犯罪行為を賛美する表現とは何なのか、フィクションにおいては決めようがないという前提で僕は話しています。それは作者がどういうつもりで書いているかによるのか、読者がどう気持ちで読むのかによるのか。いろんな意見と解釈があるのが読書というものでしょう。単なるエロ本をみても、”こういうのは自分の好きな世界じゃない”とか”恋人とはこういうふうにはしたくはない”と思うことは大事ですし、さらには”こういう世界が好きな人も世の中にはいる”ということを知るのも大事なことです。

お説教くさいメッセージを盛り込むことで、話全体が嘘臭くなってしまうというのもフィクションの特徴の一つです。フィクションでは”ある意見をそのまま言ったら嘘になる”ということがあります。ドラマで”愛してる、愛してる”言われると逆に愛してないからこそそれを取り繕っているような印象を与えないでしょうか。強姦の描写があってとして、強姦は悪かったとか簡単に反省しちゃったりしたら逆に嘘くさくないでしょうかね。

以上、若干過激な意見かもしれませんが、少し真面目に言うなら発育段階に沿った情報を与えるには、販売規制すらするべきではないという意見です。子供であろうと大人であろうと興味がないものは買わないし、見ない。興味があるなら買わせてあげるべきです。理想的には。

もちろん現実的には、それでは不安であるという考え方もあるでしょうから、しょうがなく、必要悪として最小限の規制をする必要があり、それは出版業界と警察の間で暗黙のうちに作られてきた今の基準程度のもので良いと思います。

フィクションというのは現実とは違う世界をみせてくれるものです。現実の法令でがっちがちに縛られたフィクションなんて、それこそ翼を失った鳥のようです。現実とは違う設定で描かれるフィクションは想像力を豊かにし、根拠もなく単に受け入れられている現状を変える原動力にもなるものです。

想像力を失った人たちが生きる国は大変恐ろしいものだと思います。国やマスコミが与える情報のままに、現状を認識して、”もしそれが嘘だったら”、という想像をしない場合、極端な意見から極端な意見に流れ、多様な物の見方、落ち着いた議論が無くなっていく。この流れからはそんなディストピアを想像してしまいますね。

リンク

2010-12-17 - 死ぬまで生きましょうにはいろんなリンクが貼ってあり勉強になります。