考えることの科学―推論の認知心理学への招待 市川伸一
- 作者: 市川伸一
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1997/02/01
- メディア: 新書
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しかし、こうしたことを人工知能という側面だけから考えていると、どうにも行き詰まりがあることがわかった。そうしたことを解決するためには、結局”人間がどうやっているのか”を参考にする必要があり、こうした認知心理学的なアプローチが必要になってくる。
こうした興味で読んだ本だが、大変分かりやすく面白かった。
日常的推論と形式論理
論理式でいうところのP⇒Qこうした簡単な推論でさえ、論理的な推論と人間が日常的にする推論とは違う性質を示す。
彼と結婚すれば私は幸せになれる。
でも、彼とは結婚できない。
だから、私は幸せになれない。
この議論が間違っていることはすぐにわかるだろう。”他の男性と結婚しても幸せになれる”という反論がすぐ浮かぶ。これは論理的な推論と日常的な推論が合う例となる。
先生が「80点以上の人は手をあげて」と言って、
太郎が手を上げた。
だから太郎は80点以上である。
実はこの場合、論理的には80点以下の人が手を挙げても問題ない。しかし、この場合には80点以下の人が手を挙げるのは常識的に考えておかしいだろう。
人は何かの論理に反対しようとするとき、反例を探すことで行うらしい。
例えば”AはTRPGにおいて重要だ。”という命題(として定義できるかはともかく)に反対するときに”BもTRPGにおいて重要だ。”という反例を挙げる。でもこれ、上の議論からも分かるように最初の命題に必ずしも反論していない。"AはTRPGにおいて重要だ"に対する反論は”AはTRPGにとって重要でない”という形になる必要がある。
ただし、それでも日常的な推論は常識的な正しさがある。最初の命題に対する反論”AはTRPGにとって重要でない”を”AはTRPGにとってそれほど重要でない”と言い換えると、"Aの他にもTRPGにとって大事なものがある"というんはそれなりの反論になっている。
これらを踏まえてまとめると論理的な正しさは当然必要なものだが、書き方として常識的な正しさにも配慮する必要があるんだろう。
この本はそうした”人間の推論の偏り”を教えてくれる。示唆に富む内容で大変面白い。オススメです。