アーチテクチャーとして理解するTRPGの諸構造

最近思想地図のvol.3 特集・アーチテクチャー*1を読んでいます。非常に面白くて、まだ全部読み終わってもないのに、こうして記事を書く気になりました。

ここで言われているアーチテクチャーという言葉は拡大解釈されて使われていますので、言葉の説明から入ります。

「アーチテクチャー」という言葉には「建築」、もう少し抽象的な「社会設計」、そして最近では「コンピューターのシステム」という三つの意味があります。さらに付け加えると、現代社会において人間の生活にいつの間にか入り込んで人々の行動を制御する、工学的で匿名的な権力の総称としても使われるようになっている。(東浩紀

というわけで思想地図ではWEB・建築・サービスなどのなじみのない話が交わされることになるのですが、これがTRPG論だったらどうだろうと考えると身近な問題となって考えやすくなり、いろいろアイデアも湧いてきます。以下、TRPG論としてはそんなに目新しい話をできませんが、今まで言われてきたことを、アーチテクチャーという観点からまとめなおしてみようと思います。TRPG論と現代思想とのつながりを面白がってもらえれば何よりです*2

アーチテクチャーは支配の一種なのか自己決定の創発の場なのか

思想地図では、鈴木健介の「設計される意欲――自発性を引き出すアーチテクチャ」がまず面白いです。今までアーチテクチャに支配されるのはなんとなくまずいのではなかろうかと考えていたのですが、それがそうでもないかもという話がされています。

アーチテクチャーによる支配とはコーヒー店で椅子の堅さを調整してわざわざ快適でない環境を作り出すことにより、客の回転をコントロールすることが例としてよくあげられますね。

一般に人間をコントロールするには4つの手段、「法=威嚇的命令」、「市場」、「規範」、「アーチテクチャー」があり、被支配者の不自由感は威嚇的命令>市場>規範>アーチテクチャーの順に強くなります(ローレンス・レッシグ宮台真司)。アーチテクチャーによる支配は被支配者に不自由感を与えることなく、彼らをコントロールできる手段であるから、そこには警戒が必要だろうというのが今までの論調でした。コーヒー店での例でも確かに僕らは椅子が堅いから店をでていったのであり、店を出て行かされたと感じることはないように思います。

このように”支配される”という観点で見てしまうと、アーチテクチャー論は近代化・産業化の過程で語られ続けていた、「技術による人間疎外」が名前を変えただけとなり論の新しさが薄れるわけですが、鈴木健介はそれとはまた別の一面を指摘しています。コーヒーショップの例で、なぜ不自由感がないのかといえば、椅子が堅いからでていくというのは自己判断であり、ここで椅子が堅いけど我慢して座るという選択肢が禁じられているわけではないからでしょう。そこに着目するとアーチテクチャーは次のような側面も持っているといえます。

アーチテクチャーとは、情報技術などを用いた環境の設計によって、人々に一定の幅での自己決定を促すことを目指す「仕組み」だと定義できる。(鈴木健介)

こうしてみると、なぜアーチテクチャー論がTRPG論として読めるのかご理解いただけると思います。ルールブックにしろシナリオにしろマスタリングにしろ、そういったものは要するに”人々に一定の幅での自己決定を促すことを目指す「仕組み」”に他ならないからです*3

CRPGとTRPGにおける意志決定への対応の違い

人々の自己決定を尊重した上で行動を制限していくというのは、人々のとる行動を予測する必要があるため、完全に支配してしまうのに比べて難しくなりがちです。ここでは以下の3つのことが重要になってきます(松田武彦)。

  1. 評価軸を複数のシンプルな変数に分解する
  2. 不確実性の高い要因に積極的に働きかけ、事前予測の幅を狭める
  3. 一度に全て計画してしまわないで、結果をみて逐次的に計画を練り直す

この3つをRPGなどのゲームを例に理解してみましょう。

最初の評価軸を複数のシンプルな変数に分解するというのはCRPGでよく見られる手法ですね。レベルアップするかどうかの判定に経験点を用いることからしてもそうですし、とった行動が道徳的かどうかを数値で判断してシナリオ分岐させるようなことも良く見ます。恋愛シミュレーションではヒロインの好感度なんかがパラメーターになりますね。

二つ目はTRPGの例が浮かぶのですが、いわゆるすりあわせというやつでしょうか。事前にどんなゲームをするのか、どんな話にしたいのかをゲーム前に話し合っておくことによってお話の雰囲気にそぐわない行動を抑制することができます。またヒロインを助けて欲しいならば良い人、かわいい人として演じておくとか、魔王を退治して欲しいならば悪者として描くとかそういったことも挙げられますね*4

最後のものはまさにTRPG的です。シナリオで全てを用意しておくのではなく、マスタリングで対処することにあたります。CRPGではプレイ前にすべての選択肢の結末が用意されなければなりませんが、TRPGでは選ばれた選択肢の結末だけをプレイヤーに伝えればよいので、予測すべき結末の数が少なくて済みますね。

こうして意志決定プロセスの例としてゲームを捉えるとといろいろおもしろいですね。思想地図の中で建築の方法論として紹介されている”超線形プロセス”(藤村龍至)も、僕はTRPGとして理解してしまいました。従来、クライアントと建築家の相談というのは、建築家がいろんなプランを提案し、その中でプランをクライアントが選択したかと思えば、話を詰めてみるとやはりダメで他の選択肢に戻ったりと行きつ戻りつで進むそうです。これはノベルゲームで選択肢を選んでいってバッドエンドになったら、セーブしてあるところからやり直すのに似ています。それに対して超線形プロセスは、敷地面積など大まかなところから先に、内装などの細かいところを後に一歩一歩後戻りが生じないようにクライアントに意志決定させていく方法で「ジャンプ」、「枝分かれ」、「後戻り」がないのが特徴となります。建築家(ゲームマスター)による状況提示にクライアント(プレイヤー)が必ず一つの選択を行い、その結果を提示する。そのとき、ある選択肢を選んでそれがダメだったらリセットしてやり直しなんてことはしないという点でこの方法はTRPG的だなぁと思いました。このような”超線形プロセス”やTRPG的な意志決定の仕方は、意志決定の結果をプレイヤー自身の責任として受け取りやすいのではないかと思います。

モティベーションの設計

セッション中の意志決定の話からは少し離れた、セッション環境の構築もアーチテクチャー論から語ることができます。

近年、人材マネジメントの分野で従業員のモティベーションを引き上げるような環境構築が話題を呼んでいます。このような環境構築が新たなワーカホリックを生み、企業の搾取を促進している(本田由紀)という指摘もありがますが、搾取は確かに良くないものの、そのような環境構築法を悪玉に仕立て上げたところで問題が解決するわけではなく、あえて踊らされることで自らの能力を発揮できることもあるだろうという反論もあります(鈴木健介)。

TRPGのように時間的コストがかかる遊びでも、やはりモティベーションの構築は大切ですし*5、後者の立場からモティベーションを引き上げる環境構築のコツを紹介したいと思います、

モティベーションを引き上げるには従業員が”公平感”・”連帯感”・”達成感”を感じられる環境にすることが重要だそうです。TRPGでもまさにそうだと思います。例えばGAPでは従業員同士で行動を褒めあうカードなどを使っているそうです。これはダブルクロスなどで、プレイヤーの進行を助けると経験点がもらえるといったことと同種の方法であるといえます。

最近、セッション失敗という概念について話題になりましたが*6、セッションで成功を目指すとモチベーションが上がるということがまず大事なように思います。

また、以下の4つが高い環境も従業員を仕事に深くコミットさせることができるそうです。

  • 趣味性:好きを仕事にすることで生じる
  • ゲーム性:権限委譲などにより自営業主的な立場を与えることで生じる
  • 奉仕性:ケアワーカーなどヒューマンサービス業が持つ「感情労働」的性質がもたらす
  • サークル・カルト性:仕事の意味についてハイテンションな、しばしば擬似宗教的な意味づけがなされ、高揚した雰囲気から生じる

TRPGの文脈では、ゲームマスターの中毒性の一部がこの奉仕性であるということができそうです。またりゅうたまでは今までGMの仕事であった街のデザインの一部をプレイヤーに行わせるなど”権限委譲”がうまく使われていますね。

さて、こういったモティベーションが高まる環境構築の際気をつけなければいけないのは、人によってはこれらの方法が通じなかったり逆効果だったりすることもあるということです。例えばプレイヤーがベテランでモティベーションが高い場合、褒められるより微妙だったりまずかったところを指摘されたほうが嬉しいということもあるかもしれません。これはGMだと特にそういうケースがよくあると思います。また、逆にプレイヤーのモティベーションが高くない場合、設定権などの権限委譲は逆に負担となる場合もあるでしょう。

その他、「設計される意欲」で強調されているのは”ディセンタリング”という概念で、要するに人の立場になって考えようということなのですが、上司が部下の視点に立つことで部下の抱える問題を理解する視座を得ることが重要だそうですね。ちょっと話は違うかもしれませんが、TRPGでもGM視点を持つプレイヤー、プレイヤー視点を持ったGMなどの重要性が指摘されています。

モティベーションを高める環境構築の技術のいくつかがTRPGでも用いられるようになるなかで、そういった技術を”人をみて行う”ことが次のステップだと思われます。

最後に

ながながとまとまりのない文章を書いてしまいました。

思想地図に掲載された鈴木健介の「設計される意欲――自発性を引き出すアーチテクチャ」を参考に、アーチテクチャーを人々に一定の幅での自己決定を促すことを目指す「仕組み」であると理解したうえでアーチテクチャー論をTRPG論に応用してみました。

応用としては、まずさまざまなゲームにおける意志決定プロセスを比較し、その後モティベーションを高めるようなセッション環境を作る際の大まかな理屈と注意点を述べました(見事に論旨がバラバラ!これはヒドイw)。

ほんとうはシナリオ作成の工学化についても述べたかったのですが、よく考えるとまだまだ工学化は不十分ですね*7。また、モンスターのレベルデザインなんかももっとオートメーションが進むべきだと思います。

久しぶりに長々とTRPG論を書きましたが、疲れましたし、まぁこんなところで。