批評は役に立つか

「言葉遊びになっちゃうかもしれないけど、TRPGに批評なんて必要なの? 必要なのはプレイレポートとか、ハウツーじゃないのかなあ?」
TRPGに批評はあるのか?(疑問) : 現代異能バトルTRPG 魔獣戦線BLOG

こちらをみまして、つらつら考えたことを書いてみます。

現状認識と温度差

一度TRPG関係のブログでも批評について盛り上がったことがありました。その中心のggincさんのコメントを引用するところから始めましょう。

「一般の人すべてにとって批評が必要である」とは言っていません(「あらゆる人に批評は必要である」かどうかなんて、私にはわからない。少なくとも無前提にそんなことをいう気にはならない)。
応答 - God & Golem, Inc.

ここでも言及されているとおり、批評が必要か?というのは非自明な問題です。批評を好きな人が批評を面白がるのはいいですが、そうでない人まで批評を読んだほうがいいのか。そんなのすぐに答えられません。特にTRPG批評なんてものは始まってもないようなもので*1、始まってないものが役に立つか立たないかなんて分かりませんね。

というわけで一つ押さえてほしいのは、批評をやっているからと言って批評の価値を無条件に確信していて、それを人に説明する義務があるわけではないということです。水無月さんの疑問はもちろん批評をしようとする人間だって持っているものです。

しかし、批評をする人がなぜ批評その価値を声高に主張するのかと言えば、現状としては批評が力を無くしているという文脈があるのかと。その現状認識の下、東浩紀は批評を復興させるゼロアカ道場とかをやっているんだと思われます。

なので、水無月さんの意見には僕は少し温度差を感じてしまいます。批評が力を無くしているという現状認識の上で批評に力を取り戻そうという文脈のものに対して、素朴に”批評に価値なんてないんじゃないか!”と言われても、”そういう認識を踏まえて批評活動を応援しています”と答えるしかなく、水無月さんの意見からこちらの知らなかった新しい視点を見つけることができないわけです。

で、結局批評って必要なんですか?

さて、僕も批評が必要だと結論することはできないんですが、批評が必要になる可能性について述べてみたいです。

企業・消費・流通

(批評の種類に関して)
 組織や今後の売り上げなどに関するもありますが、それはぶっちゃけ、企業側の努力ですし、読んでも「ふーん」としか思えないですしね
TRPGに批評はあるのか?(疑問) : 現代異能バトルTRPG 魔獣戦線BLOG

批評というものを成立させる一つの価値観は”自分はどんなシステムに乗っているのか自覚したい”というものです。ワーキングプアの問題の原因や責任はどこにあるのでしょうか。雇われる側の問題なのか、雇用側が改善すべきなのか、国が解決すべきなのか。それとも全世界規模の問題なのか。僕は職場が良くなればよくて世界経済なんて興味ないんですよ!という態度でよいのでしょうか。

このへんちょっと難しい政治参加とかいう問題になるかと思いますが、僕も含めて若い人は、自分の意見で組織が方針を変えるかもしれないという認識が薄いのでしょう。だから大きな構造を考えても無駄なように思えてしまうのかもしれません。僕にもそういった意識を持つことが有効だと信じきれませんが、また意識を持たないことに対する危機感もあります。

TRPGに話を戻しましょう。企業側と消費者側がいい共存関係を持っているうちは、企業の努力に任せてもいいと思いますが、それを把握しなくても大丈夫なんでしょうか。今はいい共存関係も保っているのでしょうか。僕らは損をしているのですか、得をしているのでしょうか。どういう基準でそれを確かめるのでしょう。考えたことも調べたこともないのに大丈夫とも大丈夫じゃないともいえないですよね。

作品論

自分たちのプレイするゲームや、その規則について、批評するってのは、通常あまり流行らないような気がするんです。

 サッカー、野球のようなスポーツの批評も、どちらかというとプレイするのではなく、観客としてプロのプレイを見てかかられることが多いですし、実際のプレイよりも、組織についてとか、試合運営についてなどプレイ以外についての行われているような気がします。

 TRPGの場合、リプレイについては、批評や感想はOKだと思いますが、それ以外に批評できるものがないような気がします。
TRPGに批評はあるのか?(疑問) : 現代異能バトルTRPG 魔獣戦線BLOG

これはもっともな指摘ですね。普通の娯楽は小説ならテキスト、映画なら映像と音楽など、多くの人が同じものを見たり聞いたりしています。CRPGでも映像や音楽や台詞を共有しています。でもTRPGは1セッションあたり5人ぐらいで行われるため、そういう共通のものを共有している人数は非常に少ないですね。その遊んだ体験そのものを批評しても読者がすくない。これはもっともですね。

ところで、ゲームではどういう批評が可能か考えるため、この手のことの第一人者となってしまった東浩紀の話をしましょうか。彼の批評のうち僕が好きなのは美少女ゲームのループ構造に関するものです。メタリアルフィクションとかいう名前がつけられているやつですね。

通常、美少女ゲームではスタートは同じなものの選択肢の分岐により別々のヒロインとエンディングを迎えます。一度クリアーしたヒロインとは別のヒロインのエンディングをみるためには、ゲームを始めからプレイする必要があります。プレイヤーはそのヒロインのエンディングを覚えているまま、主人公のプレイヤーキャラクターはその記憶を持たず新たにスタートするわけです。

しかし、この構造を破ったゲームが流行った時期がありました。そういったゲームでは主人公があるヒロインとエンディングを迎えたあと、そのエンディングの記憶を持ったまま、スタート地点に戻されるという特徴を持っています。この構造の利点は主人公が記憶を失わないため、プレイヤーと立場が近くなり、主人公の葛藤がプレイヤーに伝わりやすくなっているというものです。

これを見ると、ゲームでも、その構造を批評することは可能なことが分かります。このループ物というジャンルに共通の構造が分かればこのゲームをしたことが無かったとしてもいちおう話は通じますね。

TRPGの場合、多くの人に共有できることは何なのか、そこからまず始める必要がありそうです。

ルールブックに関しては、どうなんだろうか、これについては、判断がつきかねるのですが、その内容を批評するより、実際プレイした結果(プレイレポート)のようなもののほうが、今後ルールを創るにしても、有益じゃないかなと思います。
 ルールというのは実際運用されるものですし、不備があったら、訂正されていくものですので。
TRPGに批評はあるのか?(疑問) : 現代異能バトルTRPG 魔獣戦線BLOG

一つのシステムについてルールを改善していくならプレイレポートのほうが有意義かもしれませんが、あるシステムと違うシステムの差異や新しさを議論しようと思ったらやはり批評が必要なのではないでしょうか。

批評の一つの機能は、”今までの作品の系列と今論じる作品を比較してその作品の新しい点を明らかにする”というものです。今のところまとまった作品論やそれなりに使える作品分類がないので、これはなかなか困難ですね…。例えば第何世代TRPGっていう分類はありますが、この分類もけっこう曖昧なものですよね。Aの魔法陣が第四世代だ〜と言われても、それまでの分類がしっかりしてないと、その新しさもまたもやもやしたものになります。今のところTRPGシステムの新しさを評価する基準は自分の遊んでみた感覚でしかないんですね。誰もがベテランプレイヤーならその感覚も当てになりますが、その感覚を次の世代に受け継がなくて良いのでしょうか。TRPGのシステム比較はここ最近でた数年のものだけで行われて古いシステムの達成してきた業績は無視されても良いのでしょうか。

まぁそれでも良いという立場もあると思いますけど、文学史みたいにそれなりにしっかりとした評価基準があるといいと僕は思いますね。もちろん外からみるとそれなりに確定されたように見える文学史であろうとその中をみればいろんな異論や反論があるのは承知の上で。

まとめ

未だ生れてないTRPG批評の必要性を議論しました。

絶対必要であるということまではなかなか主張できませんが、何点か考えたほうがいいかもしれないことを示しました。

  • 企業と消費者の関係は適切か
  • 小説などと違い批評しにくいゲームも何か共通の構造があり、それを批評可能なのではないか
  • システムの分類や発展史を次の世代に受け継ぐ必要があるのでは

忙しくてそんなことを考えられないとか、自分の中の優先順位として批評よりも他のことを優先するのはわかりますけど、なくても平気!大丈夫!と自信を持って言えるほど不必要なものでもないと思います。

*1:ちょっとオールドスタイルの考えですが、まずTRPG批評を扱う雑誌がないです