意志決定に選択肢は必要か

ゲーム性…その微妙な言葉に踊らされますw。

ストーリー要素の多い遊びには、”ゲーム性がない”という批判がしばしば浴びせられます。選択肢がないなら小説にすればよいのでは?とか、そういう言葉もよく聞きます。しかしそれが果たして本当かなぁと常々思っていました。

選択肢の多さがゲームのよさとは関係ないという主張には納得できる方もいると思うのですが、では”選択肢がない遊び”までゲームだといわれるとなかなか賛同しにくいのではないかと思います。

そんな中、美少女ゲームは「ゲーム」なのか - ITmedia NEWSを読みました。エロとかキャラクター攻略主体のギャルゲーの選択肢ってそんなにおもしろい選択肢を提供していないと僕も思いますが、かといってほぼ一本道のギャルゲに強く”ゲームらしさ”を感じることもあります。

あんまり長く書く気はないので、すぐに答えを言ってしまいます。といっても引用から入るのですがw。

東:ササキバラさんは、ノベルゲームとはプレイヤーが責任という快楽を感じるゲームだと定義していたわけだけど、ここにはそんな高級な快楽は存在しない。

(中略)
疑似的な責任を感じさせる装置には、「自由度」も「ルート分岐」も関係ない。

なぜなら、責任感を感じさせる仕掛けには、パズルや推理は必要ないからだ。

極論するなら、選択肢はたった一つでいい。

「この娘を守りますか? Yes/No」

これで十分だ。無論、Noはバッドエンド直行。

Yesを押すしかない。そんなことはわかりきっている。 それでも、それまでの描写の積み重ねで、ここで「Yes」をクリックする時に、緊張する。「責任という快楽」を感じる。

それこそが、ノベルゲーム(あるいは恋愛ゲー)の本質だ。
2004-09-19 - 東浩紀の文章を批評する日記

まさにこれがギャルゲでたまに感じる強い”ゲームらしさ”の本質を突いていると思いました。
ここでは選択肢がまだありますが、ここで選択肢を排除してYESだけ残してみても同じことだと思います。
ギャルゲ者はそれでもYESを押すのに躊躇することでしょう。NOを選べることが大事なんじゃなくて、ここで僕が強調したいのはYESが選べないという感覚なのです。

葛藤というのはYESかNOかというタイプの葛藤だけではなく、YESを選ばなきゃいけないことが分かっているのに、YESを選びたくないというタイプの葛藤もあります。この葛藤、最近ではリトルバスターズで感じました。PLとしてはこうしなきゃいけないことが分かっているのにPCに感情移入しているため、この選択肢は選べないという状況があったんです。

さてさて、ノベルゲームの話しかしていませんが、TRPGのいわゆる一本道なシナリオでもこういう葛藤を味合わせることは可能ですよね。そして多分このときPLは”大きな決断をした。”と感じてくれるんじゃないかと思うんです。言葉足らずで分かってもらえないかもしれませんが。このとき「なんでそういう決断したの」と聞いてみてください。そのとき「GM的にそういう風にしないと進まないんでしょ?」という答えが帰ってきたら失敗です。まぁそれはその通りであってもこれではPLは何も考えてないですよね。単に空気を読んだだけです。PC的には一見困難な決断ができるようにPLは頭を使う必要があるのです。

さらに、例えばハンドアウトなんかで情報を先出ししなきゃいけない理由はここらへんからきます。決断をいきなり迫られると思考停止してしまうことがありますが、最終的にはこういう風に決断しなきゃいけないということが分かっているなら、そういう風に決断するための準備をすることができるんです。レミングスでは、彼らが直進しかしないからこそゲームになりますよね。先が読めないとゲームにならないこともあるわけです。

一本道シナリオと葛藤との関係、分かってもらえますでしょうか。

コスティキャンの文脈でこそ、ノベルゲームを”ゲーム”と呼ぶことができると思います。この場合〈意志決定〉のあるなしが重要なわけですが、「キャラクターの立場」という〈制限/情報〉を重視することで
〈葛藤〉が生まれ、かんたんに一つの選択を選び取れない状況が生じているのです。

これを考えると例え読書であっても簡単にゲームになる場合があります。”このページをめくると、(登場人物の名)は○○しようとする。その結果がみたいならページをめくれ。さもなくはさっさとページを閉じよ。”これを書くだけです。この文言を書くだけで小説がゲームブックになりますよね。しかし、このメタなメッセージは別に消そうと思えば消せます。そういう意味では小説を読むことすら、読者の感覚によってはゲームになるわけです。ゲームって難しい概念だなぁとつくづく思います。