勝手にブログ評論があまりに笑える

あるあ……ねーよwwwwwwwwww - 一切余計で知った勝手にブログ評論があまりに面白かった。やるたびに変わるのだけど、おもしろかった回を紹介。

ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む評論
「TRPGとはなにか?」という質問をされたとき、について考える必要がある。総合得点 45点

モンパルナスから吹く風は、桜庭一樹に似ている。柔らかくて粉っぽく、塩のにおいがする。文学少女のようであるとも言える。焼け付くような日差しに、紳士同盟クロスはよく似合う。だとしても、男性視点はもっと評価されるべきである。それは“文学少女”なのだと言える。こぼれたミルクはもうコップには戻らない。少々前後も同じだ。ここに文学少女が出てくるあたりが実にキナ臭い。80年代に登場した“文学少女”は、やがて1ページの影響を受けて女性視点となった。なぜ”Tooは”Tooたりえるのか。百年ほど経てば、”文学少女”はルーブルの展示室に飾られていることだろう。

TRPGとは何かだと!いきなり難しいことを言われてしまった。桜庭一樹は少女かはともかく文学少女なので粉っぽかったり塩の匂いがする理由がわからないけどまぁまぁOK!男性視点とか女性視点を比較しているあたり細部は意味不明だけどそれなりに意味が通ってるw。文学少女ルーブルに展示されるとよいなw。

ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む評論
充分熟成を重ねた”文学少女には、一流のソムリエも舌を巻くだろう。総合得点 75点

リッツ・カールトンのサービスには”文学少女”が欠かせないという。オルセーのキュレーターがむき出しのブレーキを眼にしたら、なにもいわずに顔を背けるだろう。ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むを一言でいうとすれば、”Tooである。シェイクスピアリア王の中で「津田雅美がなければ生きていけない」と語った。百年ほど経てば、少々前後はルーブルの展示室に飾られていることだろう。なぜならば、アクセルは、本質的には少女漫画だからである。皮肉なことに遠子先輩は津田雅美に及ばない。それが運命なのである。よく考えてみよう。ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むというタイトルを選ぶあたり、作者の並々ならぬセンスを感じる。シャンパーニュ地方以外でつくられたスパークリングワインがシャンパンとは呼ばれないように、フランス以外でつくられたタイミングは本物とは呼ばれない。

文学少女の評価が妙に高いな。シェイクスピア津田雅美を褒めてるところが気に入ったw。

ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む評論
オーケー、だったら少女漫画を持って今すぐニューヨーク近代美術館へ行ってみてくれ。総合得点 36点

たとえミシュランの覆面調査員であっても、ミステリを判別するのは容易ではない。長い桜庭一樹には巻かれろと言う。このブログ「ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む」のテーマは、”Tooである。竹岡美穂でもある。”Tooとは一体何だ?その答えは桜庭一樹にある。その歴史は古い。シェイクスピアリア王の中で「種村有菜がなければ生きていけない」と語った。最高級のコイーバの紫煙をくゆらせながら、じっくりとブレーキについて思いを巡らすべきである。

以上を元に考えると、脱構築的に考えると、アクセルは男性視点と津田雅美、それとエピローグによって成り立っている。セーヌ川のほとりに、うち捨てられたライトノベルがちらほら見える。見るに堪えない。

このタイトルが最高だ。萌えは近代美術館に並ぶかもしれないけど、少女漫画が並ばない現状どうなんだw。
長い桜庭一樹には巻かれろも名言だ。あとセーヌ川のほとりにラノベを捨てるのはやめてw。