アングロサクソンのリバティ・フリーダムと日本の自由
最近方々のブログで自由に関して議論していておもしろいですね。僕はハッカー的なものの考え方が好きで、その立場からちょっとした雑学を紹介してみたいと思います。
TRPGには全くもって関係ないですね。僕はゲームの内容とか技術として論じることができるのは自由度(フレクシビイティ)のほうで、自由(リバティーとかフリーダム)かどうかはゲームの外の話のように思えます。
ただ、TRPGで問題になるのはしばしばゲームの外の話なのでTRPGの話としても重要な話ですけどね。
今回の僕の話と深く関係があるものだけリンクします。
- http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20071023/p2(このリンク先は夏目漱石の紹介した個人主義のお話)
- http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20071117/p1(ハッカー文化とTRPG文化の関係)
- RPGコラム 『うがつもの』: 「何でもできるけど何もできない」が見つかった 〜TRPGでの消極的/積極的自由〜(積極的自由と消極的自由のお話)
僕の尊敬する偉大なハッカー、リチャードストールマンはこんなことを言っているそうです。
「free softは『フリーソフト』ではなく、(日本語でそのまま)『jiyuunaソフト』と訳せばどうか。日本語の『jiyuuna』という言葉は英語の『free』よりも意味が明白だ。freeだと無償という意味もあり混乱を招く」
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/243/243177.html
なんと、日本語の”自由”っていうのはそんなにも高尚な言葉だったのか!気づきませんでしたよ。このあたりのことは以下のwikipediaからの引用を読むとよりはっきり分かるでしょう。
「フリーダム(freedom)」と「リバティ(liberty)」は、ともに自由と訳される。現在、この二つの語はほぼ同じ意味で用いられるが、その意味合いは微妙に異なっている。フリーは古英語のfrēoに由来し、束縛や拘束がなく義務を免除された状態、すなわち自由の消極的側面 (しなくてよい)が強調される。一方リバティはラテン語のlibertasが語源であり、選択や行動・発言の権利が保障された状態、つまり積極的側面(してよろしい)に比重が置かれる。
自由 - Wikipedia
福沢諭吉がリバティを訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだ。初めは、「御免」と訳す予定であったが、上意の意味が濃すぎると考え、あらためた。
自由 - Wikipedia
仏教での自由は”自らに由る”というところから来ていまして、独立しているといったような意味のようです*1。
まぁ日本の自由って言葉にも義務を免除された状態の意味があるにはあるんですけど、福沢諭吉は御免の免除されているという意味を避けて自由って言葉を選んだみたいですね。さすがは1万円札の男(関係ない)。
まぁそんなわけでストールマンは、日本語で言うところの自由はリバティの意味だと思っているのでしょう。
- 自由なソフト:改変、配布する権利が保障されているソフト*2
- 無料なソフト:お金を払わなくていいソフト
英語でフリーソフトって言うと、どっちのことだか分からんよってことを言っているのでしょうかね*3。
たしかに、日本語の自由って言葉の使い方としては、あんまり”無料”の意味は含まれない気がしますので、たしかにこの用語もいいかもしれません。
まぁそんなわけで夏目漱石は西洋の個人主義に感化されたわけですが、リチャードストールマンは日本の自由って言葉を良く評価してくれています。なんだかおもしろいですねって話でした。