鏡さんの自由・管理論と遊びの幅 遊び方を人任せにしない技術について

鏡さんからトラックバックをいただいてしばらくになりますが*1、やっと鏡さんの言いたいことが分かってきたような気がしましたので、記事を書こうかと。

私が実現したいことは「多様な遊び方の認識」による「柔軟なプレイ環境の確立」。質的向上よりも、「幅」的向上です。
鏡式「意図」と「管理」について、他 (卓上RPGを考える)

このまとめの表すとおり、あの一連の論考は遊びの幅についてのお話です。意味が分かってから読んでみると、うなづける内容なので、ぜひ読んでみていただきたいところです。しかし、僕自身がそうであったように、あの記事を単独で読んでも分かりにくい部分があります。この記事を参考に、一連の論考の意図が少しでも分かるようになればと思って書いています。

鏡さんの記事を読んでいて、一番わからなかったのは、「何故そこまで自由に拘るのか」でした。まず、あの論考たちの書かれた動機が分からなかったので、内容の理解に入れず、また内容を理解しても何が言いたいのかつかめませんでした。

鏡さんがあの文章を書かれた動機は以下のやりとりをみるのがわかりやすいと思います。僕のこの記事の意義の大半はこのリンク先のサイトのやりとりをみつけたことにあります。ぜひリンク先の文章も読んでみてくさい。

異なるもの(自分や人との遊び方の相違)を比較する意義については賛成ですが、その対象を「デザイナーの意図」と呼ばないほうが良いと思うのですよ。どうしても「正解」を求める方がいて、何かと問題を引き起こすので。むしろユーザーに属する概念として比較した方が順調にいくというのが、実体験に基づく私の意見です。
TRPGにおけるデザイナの意図と遊び方(長い・・・): なんとなくのコメント欄 鏡さんのコメントから引用
()内は僕が補いました。

ここで言われているのは、”(GMも含む)プレイヤーの考えるデザイナーの意図”を単に、”デザイナーの意図”と称したことによって、べき論が生じ、摩擦を生んでいるということですね。

ggincさんは理想の読者論にたとえましたけど*2、聖書の解釈におけるごたごたをイメージしてもらったほうより過激でいいかもしれませんね。聖書にかかれている言葉は同じでも、解釈によって宗派がわかれたり、血が流されたりしています。

ここで、”私はキリストの言葉をこう解釈します”というだけなら揉めないはずなのに、”キリストはこういう意図で言ったのである”とまで断言されるとそら揉めてしまいますね。また、「別にあなたがどう解釈しようと勝手ですけど、こっちが正統で、あなたは異端ですよ」っていう態度もまた火種になりそうなところです。

遊び方を人任せにしない

以上の議論から、僕なりに教訓を見出そうと思います。

まずは鏡さんの自由とか管理とかの言葉使いのまとめから。

決断(鏡式):セッションにおいて各々が自分の行動を決定すること。
命令(鏡式):セッションにおいて各々が自分の良かれと思う行動を他人に提案すること。
意図(鏡式):各種情報の中に込められた命令。また、各種情報の中に込められたと思われる命令。
自由(鏡式):運用に段階を設けず、とにかくプレイグループの好きなように運用する自由が確保されていること。
管理(鏡式):プレイグループ内に上下関係を設け、上位者の命令に下位者が従うことで、運用の確実さを確保すること。
鏡式「意図」と「管理」について、他 (卓上RPGを考える)から引用

僕は、PCの自由と不自由について話しているのかと誤解して、この自由と管理の論考に分かりにくく感じていたのですが、鏡さんのいっている”管理”というのは、ゲーム内でのPCの行動をPLの人間関係などで制約しているという話でしょう。たしかにそれはまずい気がします。

さらにいうなら鏡さんの言う自由と管理っていうのは、要するに自分で考えているのか、他の人の言うことに単にしたがっているだけなのかの差なんじゃないかと僕は解釈しました*3。また、自分の行動に責任をとるのか、責任を他の人に求めるのかという違いともいえるかもしれません*4
鏡さんの意見を僕なりにものすごく簡潔にまとめますと、「自分の遊び方は自分で決めて自分で責任をとれ!」ってことだと思います。また、「デザイナーやGMや年長者の意見であろうが、理由もなしに従わないで、何でそういう遊び方をするのか自分で考えましょう」ということかと。

”デザイナーの意図を汲む”や”GMの意図を汲む”というのは、ある意味その人を信用して面白さのもとをその人まかせにする無責任な態度ということもできます*5

人まかせにしないってことは、端的に言えば自分の思う遊び方を人に提案することだと思います。

「システムデザイナーからゲームマスターへの情報伝達」「マスター自身の運用能力の上達」「RPGにおける教育」「上達の方法論」などが重要な課題であることは私も認識しています。しかしながら私の主眼がそこに無いことも確かです。
鏡式「意図」と「管理」について、他 (卓上RPGを考える)

このように言われていますが、自由を成立させるためにこそ、遊び方をよく考え、人にうまく説明する技術が問われるのではないでしょうか。自分で考えることこそ、面倒で難しくて大変なことですよね。

人の考えに合わせる技術ではなく、自分の考えを提案したり、相手の考えの方向性を見極めたり、そういう技術は、今のところ人それぞれであまり共有されてないといないと思いますので、この”遊びの幅”を持たせる方向性での議論が深まり、技術が共有されるといいですね。

*1:自由なデザイン、管理するデザイン (卓上RPGを考える)

*2:「3者関係」構図の違いと〈段階的な運用〉について - God & Golem, Inc.

*3:「自由」とは何か (卓上RPGを考える)から推測

*4:でも遊んでいるのに”責任”なんて言葉は重苦しくてあんまり似つかわしい言葉じゃないですね。

*5:というか、デザイナーの意図やGMの意図を汲むって言ったときには、ほんとは自分の考えなのに、デザイナーの意図やGMの意図を汲んだことにしているということでしょう。”ルールブックを読みながら自分で考えたこと”をデザイナーの意図と表現することの責任転嫁を問題にしています