マズローとTRPG 〜博士の異常な欲望〜

サブタイトルは、おもしろがってつけてるので、あんまり怒らないでいただけると嬉しいです。

マズローの理論をとりまく状況

マズロー自己実現理論または欲求段階説は、中学かなぁ高校かなぁ教科書にも載っている理論ですし、直感に訴えかけるところのある理論です。なにかをしたい気持ち・欲望を扱っているので応用範囲の広い理論ですし、経営理論などにもよく使われるそうです。

そして、この理論はTRPGにも応用されてきました。もっとも有名なところでは馬場秀和のマスターリング講座(馬場理論)だと思います*1 *2

しかし、今日のマズローの評価を(ネットでw)見ますと、必ずしも好意的に受け入れらているわけではありませんし、馬場理論批判でもよく指摘される部分です。

問題があるとしたら以下の3つのパターンに分類されると思います。

  1. マズローの理論自体が抱える問題点
  2. マズローの理論を応用する際に生じる問題点
  3. マズローの理論を応用したものを読んだとき、生じる誤解

マズロー理論を前提としてその応用例がいきなり書かれている場合、この理論自体の問題点などが見えにくくなります。理論の限界や欠点などを把握した上で、楽しくこの理論とつきあいましょうというのが、本記事の主張となります。

斉藤環の著書に「心理学化する社会」という本があり、そこでは、社会が物事に心理学的な説明を求めすぎているという警鐘を鳴らされています。人の気持ちがこんな簡単な図式で包括的に議論できるなら楽な話で、こういう理論は”うひょ〜当てはまるぅ〜当てはまるぅ〜”という態度より、”ほんとかなぁ?”という視点をもって見たほうがいいと思います。でも、”当てはまるぅ〜当てはまるぅ〜”って言って遊ぶのも楽しいので、うまく使える部分は使っていければいいんですけどね。

結論

この記事自体が長くなってしまったので、先を読むのが面倒ですねw。ここで結論を先にまとめてしまいましょう。

マズローの理論をTRPGに応用する際考えられる問題点は以下の3つである。

  1. 理論中で娯楽を扱っていない
  2. 段階の順番は逆転しうる。逆転の是非はケースバイケース。熱中して遊ぶ場合にこそ逆転が生じやすい
  3. この理論を自己実現しなくてはいけないととったときには、理論を適用できる人の数は少なくなる

マズロー理論を応用した記事を読むときには以上の点に気をつけて読むと、読者も書き手も幸せになれると思います。

マズローの理論 概説

さて、概説を始めなければいけないのですが、困ったときのwikipedia。コピペを編集して済ませてしまいましょう。

マズローの理論とは、まず人間の基本的欲求が低次から5段階に分類され、下位の階層のものが充足される事により、上位の階層へ移行するものとした考えである。

1 生理的欲求 生きていくために必要な、食物、水、空気、性といった生理的な欲求
2 安全の欲求 危険を遠ざけ安全や安心を求める欲求
3 親和(所属愛)の欲求 他人と関わりたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求
4 自我(自尊)の欲求 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求
5 自己実現の欲求 自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求

その5段階を整理すると上の表のようになり、この中で、「生理的欲求」から「自我(自尊)の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」とし、「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。
自己実現理論 - Wikipediaを整理しなおしたもの。
自己実現に関してはhttp://www.members.aol.com/Ajianwellness/mazuro.htmも参照のこと。

疑問や不備など

概要を読むと、さまざまな疑問や不備が思いつきます。

欲望をすべて網羅しているか?

ぱっとみて娯楽を求める欲求はどこに入るのかわかりません。マズローの意見では娯楽は”気晴らし”であって、自己実現にむけた欲望の段階にはいれないみたいですね*3
あと複雑なものでは加虐・被虐の欲求や、死にたくなったりする気持ちも登場しませんね。
後者はともかく、娯楽を求める欲望が分類上ないのはTRPGなどのゲームに応用する際、難しさを残しますね。

順番は逆転しないのか?

そもそもマズロー自身も順番が逆転する可能性については考えているみたいです。親和欲求と自我欲求は、本人がどれだけエゴイスティックかによって順番が逆転することがあると考えているようです。

さらに順番に関してはさまざまな例外が思い浮かびます。
例えば、”武士は食わねど高楊枝”なんてのは生理的欲求が満たされてなくても、自我の欲求を満たそうとしているわけですね。
あと、順番の問題というのか微妙なところなんですが、食う間も惜しんで、寝る間も惜しんで何かしちゃうことはありますよね。ゲームとかゲームとかゲームとかですが。なにか一つのことに集中している状況でも順番が狂うことがあります。

自己実現しなきゃいけないってわけ?

マズロー理論の原典でどうなっているのか調べるところまで、僕は労力をかけることができなかったんですが、マズローの理論は自己実現に向かうことを是として読まれているようです。

こういう議論でよく揉めることが、事実命題と当為命題を取り違えるなってやつです。「実際○○となっている」という事実を「○○となるべきである」という義務に誤解してしまうと、無理や確執を生じてしまいますね。まぁ僕もこんな偉そうなことを言いながらよく間違えている場所かと思います。ここはよくよく注意したほうがいいですね。事実命題を述べるだけなら「ああ…そういうのが当てはまることもあるかなぁ」で話がすみますが、当為命題を述べるときは「むきーなにこいつこんなに偉そうに上からものいってんのさっ!」って反応を受けるでしょう。

自己実現すべき自己ってものが明確な人は、どうぞどうぞ自己実現してくださいって思うのですけど、わざわざ自己実現すべき像がなければ、そんなに一生懸命探す必要もないかと思います。どうしても苦しければ「欲望とは他者の欲望である――ラカン」とか「欲望とは他者の欲望の模倣である――ジラール」とかつぶやいてみるといいかもしれません。よく知りませんがw。

マズロー自身も言っているはずですが、自己実現なんてことができる人は少ないわけです。自己実現を当為命題として考えられる人は少数なのではないでしょうか。特にTRPG自己実現しようなんて…。それは明らかに趣味を超えてませんか。

参考資料

TRPGに応用されたマズローの理論

この記事を読んで違和感を感じたことが、本記事を書くきっかけとなりました。

この記事から導き出されるTRPGの楽しみ方に関する注意には一理あります。

*1:例えば2章 2.2.3 目標の目的とか

*2:あとは終章”マスターリングに上達すること、すなわち人生に上達すること”のようにマスタリングの習熟を自己実現とみること

*3:嘘かも…なんにしろ原点を当たってないのでこのあたりは保留です