四季 冬 森博嗣

四季 冬 (講談社文庫)

四季 冬 (講談社文庫)

四季の4冊め、最終巻です。前卷の感想はこちら。

注意!ネタバレに対する配慮は全く行っていません。未読の方は注意すること。

天才を真正面から描く

さて、最終巻です。いつものように天才の描き方に着目していきましょうか。

今回はすごいですね。描き方もなにも作者が内面も思考も真正面から描いてます。もうこうなってくると森博嗣がどんだけ賢いのかってことが直接試されますね。

読者は論理矛盾に敏感だと思います。逆にそこ以外に敏感になれるところはないのですが…。論理矛盾を起こしているとすぐ馬鹿に見えてしまうのですね。四季の春から感じていたことですが、天才の言説は、論理矛盾を起こさない上でどれだけ常識と反対のことを言えるかってことなのではないでしょうか。このときただ、常識と反対のことを言うだけでなく、論理的な帰結として常識と反対のことを述べるのが天才のこつかと思いました。

僕が感心したのは、四季さんが人口知能の困難を語るところでした。人工知能を作る際、小規模なネットワークが増殖しつつ成長していくモデルで考えているのが間違いのもとで、逆に大規模なネットワークが環境によって志向性を得ていくモデルで考えるべきだと指摘しているのですが、これに説得力を感じてしまいましたね。まぁ机上の空論ですので信じちゃいけませんよw。

四季の成長物語

さて、そろそろ描き方とか技術的な側面を離れて、本作の内容について考えていきましょう。この冬は犀川と四季が簡単な会話を交わすシーンで終わっていまして、やけにあっさりしてるんですよね。このシーンでは犀川が四季に「人間はお好きですか?」と問われて「ええ…」と答えるだけです。ちょっと拍子抜けしてしまいます。

このシーンから単純に考えると、この四季という物語は、自分のことにしか興味のなかった天才少女が、ある種の人間愛を覚えるところまで成長するという物語だといえます。こう言ってしまうと、陳腐な話に聞こえるかもしれません。しかし、あれだけロジカルに行動してきた彼女が、矛盾を綺麗だと賞するところに驚きがあります。あれだけ自分だけで完結している人間が、他者を求めるというところにロマンがあります。

この四季の成長物語は、どこか身につまされる部分があるんですよね。いろんなものに興味を持っている段階から自分に志向性をつけるということが成熟であるとか。僕はこうやっていろんなジャンルの本を読みますが、それはある意味、僕の未成熟なところの表れですね。
また、四季の好きっていう感情は”解体したくないとか、思考をトレースしたくない”気持ちとして現れてくるのですが、これもなんか分かります。好きなものは、分かりたくなんかないんですよね。分かるっていうのは自分の考えの中にそれを整理してしまうということで、ある意味他者を自己の一部としてしまう行為なわけです。僕らは自分の外部にあるものが好きなので、いつまでも好きでいたいものは外部である必要がある。

森博嗣のいいところは、ロマンを残して謎を分解してみせてくれるところです。

補足・どうでもいいこと

66ページの四季さんの台詞「頬を打ちましょうか?」これはシビレましたねw。僕はなんたるダメ人間かw。

この人の数学ポエムみたいなのは、概念を知っている人間にとっては、わりと陳腐なので正直ちょっとうざいw。これさえなければと思うんだけどなぁw。