人身御供論 内容要約2

成熟が難しくなる近代

ついに現代的な話になってきます。赤ずきんちゃんの話は、通過儀礼を迎えても何の変化もないことを示している。
もともとあったいろんなパターンの話のうち、このタイプの話が生き残ったのは消費社会では大人にならない話が好まれるからだろう。

少女でありつづける

子供が神隠しに合うというファンタジーは少女でいたいという幻想によって生まれる。

人身御供とは誰か

何かと何かの中間的な存在が人身御供として描かれやすい。

供儀志願者の動機

自ら志望するものほど、通過儀礼を達成しやすい。

村に外部がある場合 自己犠牲は王になる

自己啓発セミナーでの話。

自己啓発セミナーでは通過儀礼のイニシエーションとして、共同体のため人身御供になる多数派になるという体験を行う。

ここで、自己犠牲を主張するのは、自分一人の犠牲で多数を助けようという考え。
このような積極的な人身御供は共同体の駒にはならない。

むしろ外部がある世界では、村の外部に出て出世してもどってくる存在である。

外部でのイニシエーションの成功と 外部で生まれたもののイニシエーションの失敗

<都市>ができたあとは、<ムラ>の外に出て<都市>でイニシエーションを成功させる。
しかし<都市>で生まれたものは、向かうべき外部がない。
おしゃれ泥棒は虚構でイニシエーションを成功させると提示する。




(まだ書き途中ですよ)