三島賞というジャンル〜佐藤友哉の三島賞受賞の際の選評〜
三島由紀夫賞にみるポストモダン文学の系譜〜困ったときには宮本輝〜 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むで述べたとおり宮本輝の選評に期待していたのですが…。
私には文字だけでかかれたドタバタコミックとしか思えなかった。
この小説について、選評で私なりの考えを書くほどの感想もない。
宮本輝 第20回三島由紀夫賞選評 ”「新しさ」への疑い” から引用
これで、ほんとに終わってしまっているので、なんともいいようがないですね。まぁ今回は宮本輝以外の選考委員はこの小説を推しているし、自分が書くこともないって思ったのでしょうかね。
筒井康隆と宮本輝の方針の大きな違いは、新たな文体や新たな手法で書かれた作品を文学の新しさと認めるかどうかにあるようです。宮本輝の態度もとても真摯なものですが、今回の佐藤友哉の作品は小説に対する真摯さを他の選考委員に評価されての受賞だと思います。宮本輝はなぜこの作品が文学に対して真摯じゃないと思うのか、語って欲しかったですね。
僕は舞城王太郎の時のように、突き放した選評を期待していたのですが、舞城王太郎と違って叩く価値もないと思っているのでしょうか。でもそういう評価も分からなくもないですけどね。三島由紀夫賞という賞の性質上、あんまりにも選考委員に理解されすぎている作品というのは小粒に思えてしまいます。今回の宮本輝以外の選評は非常にもっともで、正しく評価されていることが残念ですね。
各選考委員の評価のポイントをまとめておきますと
筒井康隆
- 自然主義的リアリズムに基づく文学をゲーム感覚で批評するのは勇気がいる行為で今まで誰もなし得なかった
- 批評文学ならぬ批評小説に面白みを感じた
- 文学論フリークは興奮する場面もあったはず
- 確信的なたくらみに基づいて書かれている
- エネルギーがある
- 作者の文学的な知識の貧しさが、書くことに対する必死さを生んでいる
- その貧しさが、日本文学に対して真剣な問いを可能にしている
- そこに叙情とロマンチシズムがある
- 探偵小説的形式で日本文学を捜索した企図が頼もしい
- ジャンル意識に自覚的でフィクションの自由を行使している
- 文学史への向かい合い方は稚拙だが、それをあからさまに書くゆえ自己批評が生まれている
- ゲーム的ファンタジー的、安い涙をそそるロマンチシズムも魅力的
選評の話はこれくらいにしましょう。
この新潮の7月号には佐藤友哉の受賞コメント、および受賞についてのエッセイが載っています。これがまたアイロニカルでいいですね。
『名誉ある賞をいただけて(中略)文学に精進する所存なり』という言葉が、単なるギャグになってしまう2007年に文学賞を獲得したのは逆境に等しい。文学にせよ、新本格ミステリにせよ、今はもうないのだから。
佐藤友哉 第20回三島由紀夫賞受賞コメントから引用
これはなかなかいいコメントですね。
エッセイも非常に楽しいです。昔の佐藤友哉の面影を残しながらも進んでいくという決意が見えます。
このほかに、佐藤友哉と高橋源一郎の対談が掲載されていました。写真を見ますと、高橋源一郎もずいぶん年をとりましたね…。僕が最後にみたのはたぶんウゴウゴルーガで作文の書き方を教えている高橋源一郎だったので、あたりまえといえばあたりまえですが…。
実はこの対談がおもしろい。高橋源一郎は佐藤友哉に着目していたようで、佐藤友哉の作風の変化を議論したり、今後の方向性に関して意見したりしています。これはなかなか収穫でした。
ところで、今回の1000の小説とバックベアードは高橋源一郎の『日本文学盛衰史』を参考に書かれています(僕は未読ですけどね…立ち読みぐらいはしたかも)。第一回三島由紀夫賞受賞者の作品を参考にしていることを考えると、この1000の小説とバックベアードは実は三島賞ど真ん中の作品ですよね。そういう意味では意識的ではないにしろ、三島賞というジャンル小説を書いてしまったのかなぁという思いもしました。