オモロ化するポストモダン

なんかこういうタイトルが思いついちゃったのでつい…。

http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20070606/p1
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20070607/p1

2ちゃんの人に何かを説明するってけっこう難しいですよね。匿名ゆえに相手のバックグラウンドがわからないわけで、「あなたの年代でいうと○○」みたいなたとえ話も通じないし。
そんな何を説明すれば分かってくれるのか分からない人に物事を説明するなんて、紅茶さんもチャレンジしているなぁと思ったのでした。

ただ、卓上ゲーム板に生息している人は、少なくとも趣味としてTRPGを選んだ人なわけで、そういう目を持った人には、話せば分かるんじゃないかって期待もあります。わからないって表明するってことは分かろうとする気持ちがあるってことですし(ほんとかなぁw)。

ただ、今回の話はあんまりTRPGど真ん中の話じゃなくて周辺文化の話なので、TRPGをやっているだけな分には分からなくてもなんら支障のない話ですね。そういえば、周辺分野の知識をどう扱うかってのはTRPGのススメの一つの議題になってますよね*1。基本的にはあんまり強要しない方向でってことなんですけど、紅茶さんが好きな話題だけについ書いてしまうのでしょうw。

僕の問題意識としては、細分化された元オタク達への追悼文。あるいは唐沢俊一×岡田斗司夫著 オタク論!の書評 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むを書いてから、”自分が知っていることは相手も知っているんじゃないかと仮定”するのは気をつけなきゃいけないって思っています。とはいえ、ブログって結局自分のために書いているものだと思うので、外に向けの記事で自分と違ったバックグラウンドの人が読むだろうと思ったとき、特に気をつけるだけでいいんじゃないかなぁって思ってます。

でも、検索エンジンが発達しているせいもあって、気をつけても気をつけても、自分が想定している読者層と実際に読む層のズレができるんでしょうね。あとは、バックグラウンドが難しすぎるってことも問題かも。さっきの岡田斗司夫の本で年齢=知識量って話がでてくるんですけど、人生でためこんだ知識(無駄なものも含むw)っては自分が意識している以上に多大なんでしょうね。

そうそう、そういえば唐沢俊一×岡田斗司夫著 オタク論!で触れられていた大事なこととしては、「理屈がよく分かっている=正しい判断ができる」っていう神話は崩れきっているってことです*2。TRPG論考がオモロだと思われる背景はここにあります
TRPGがうまくなるためには、ひたすら論考を重ねなきゃいけないっていうのが昔風な考え方で、TRPGがうまくなるためにはひたすら練習しなきゃいけないってのが今風な考えかたのような気がします。野球がうまくなるためには野球論ではなくて野球をしろってことですねw。TRPGみたいに頭をつかう遊びであろうと、野球みたいに体を使う遊びであろうと、上達のためには練習しろっ!とそういうことのようです。
でも、TRPGの場合、論考を書こうと思う層の人が練習に明け暮れることは年齢的に不可能です。…とも言い切れない例を個人的には知っていますが…(某たまのさんとかw)、まぁ一般的には無理ですね。それに上達うんぬんの話をするといつも馬場理論の影が見えてよくブログが燃える。こまったもんです。…ってなんか話がずれてきちゃいましたね。

まぁそんな状況もあいなって、論考サイトも非常にソフトな言い方になってきてますよね。TRPG界全体に問題意識を投げかけるようなトップダウン式の言説は少なくて、自分がおもしろいと思うプレイスタイルを紹介するみたいな感じです。この現状からすると、アカデミックで頭でっかちな論考家VS実践主義のネラーって構図も壊れてきています(もともとそういう図だったのか少々疑問なんだけどそんな気がしませんか?)。時代が変化してオモロスレもネタに困っているんでしょうね。

http://ga3.gagaga-lululu.jp/talk/02/にもあるとおり、最近はネットをみれば自分が主流派なのかそうでないのかすぐにわかってしまいます。ちょっと変わったことを思いついても、すぐ意見調整をしてしまうのでオモロが生まれにくいって事情もあると思います。

さて、そういうオモロが出にくい時代にオモロスレはどうなっていくんでしょうね。

*1:http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20070512/p1

*2:つい神話とかいう言葉遣いをしてしまいますね。神話っていうのは、嘘なのに信じられていることです。”日本の安全神話”って言った場合には「日本は安全だと信じられている」ということで”日本の安全神話の崩壊”っていうのは、「日本は安全だと信じられたが、そうではないとみんな分かった」ってことです。