サバイヴ系時代に生き残れないタイプの ギャルゲフリークのつぶやき

ところでなんでsurviveなのに最初のvはバなんでしょうねw。

宇野常寛ゼロ年代の想像力は読んでないんですけど、ギャルゲの好きなものとして一応書いておこうと思いました。善良な市民こと宇野常寛は口が悪いだけでそんなにおかしなことを言ってないんで、別に反論とかそういうことではありません。ぶっちゃけよしながふみが好きなところとか僕はけっこう彼に近い感性を持っているような気もします。まぁそら人と人のコミュニケーションとか大事ですね。オタク的行動なんてやめちゃったほうが、人生有意義。まぁそらそうかも。

でも別になんといわれようとギャルゲー好きですよってそういう話です。
例えばちいさいころ電車や飛行機とか見てかっこいいとか思うじゃないですか、それを”自分の矮小さに対するルサンチマン、巨大なものへの同一化幻想である”なんて言われて、例えそれが事実だったとしても、べつに小さいころ電車や飛行機がかっこよく思ってた自分を恥じる必要なんてないし、その原体験は懐かしい思い出として大切にすればいいんじゃないでしょうかね。

現代のエンターテイメントぶったぎり - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むでは、彼らが涼宮ハルヒの憂鬱キョンの視点で語っていたので、それはギャルゲー的な文法を抑えてない意見だと思って反発しましたが、サイトをよく読んでみると、彼らもそのあたりはよくわかっているみたいでした。むしろ僕は自分の読みに固執してしまって素直な読みを軽視していたかもしれませんね。

 この作品は簡単に説明すると、「不思議ちゃん」すぎて友達がいない美少女ハルヒを、主人公の男の子(キョン)が優しく見守るって話なんです。ヒロインのハルヒは「日常は退屈でつまらない、宇宙人や超能力者や未来人がいてくれればいいのに」とずっと思っていて、実際に屋上でUFOを呼んだりしちゃう「不思議ちゃん」です。
 
 でも、よく考えたら明らかに「日常の中に楽しみを見つけられずにダダをこねている」のはハルヒ以上にキョンなんですよね。キョン(=この作品のファン)こそが「困った不思議ちゃん(ハルヒ)を温かく見守る」という非日常から離れられなくなっている。
 これって、典型的なオタク男子のパターンなんですよ。普通の女の子とは付き合えそうにないからいじけて二次元の美少女キャラに走る。でもそれじゃ寂しいから、妥協案として(笑)「不思議ちゃん」や「メンヘル女子」に走る。「自分よりかわいそうな女の子を助ける」というロマンに溢れたストーリーを勝手に脳内につくって暴走しちゃうんですよ。『NHKにようこそ!(注3)』の佐藤君タイプですね。
浅草橋ピンクデザイア ~惑星開発座談会 http://www.geocities.jp/wakusei2nd/haruhi.htmlから引用

でも、そうやって自分をごまかしていたりしても、そこがいいとこなんだってのが僕の主張です。僕はこういう思想の源流はサリンジャーにあると思います。サリンジャーの”ライ麦畑でつかまえて”の一番クライマックスのシーンを一言でいうと、「自分が苦しいときこそ、同じように苦しんでいる人を助けたくなる」というものです。この心理状態は美しいと思うんです。これが旧来のギャルゲーに流れる思想で古かろうと新しかろうと別にこの思い自体は大切にしていきますよ。そればっかりで飽きることはあるかもしれないんですけど、僕はこの強烈な読書体験を嘘にはできないんですよね。

でも、「自分が苦しい時こそ他人を救え」、これは確かに自分の状況を棚にあげてごまかしてますね。これで、ほんとに救われたり楽になったりするかっていうとそうではなくて、自分の問題は一つ一つ自分で片付けなきゃいけないw。それこそ他人のことなんか知ったことかと。まぁそうやって自分に余裕を作って自分の出来る範囲で人のお手伝いをする。それが合理的っちゃ合理的です。

でも現実とは別に、ライ麦畑でつかまえてみたいな考え方が好きでも別に困らないでしょう。ロマン万歳なわけです。宇野常寛とは解釈まではだいたい同じですけど、その結論が好きなのか嫌いなのか、ただそれだけの違いだと思います。脱オタとか過去を否定するのも社会的には必要だけども、ちゃんと仕事してれば心まで売り渡す必要はないんじゃないですかねw。みんな胸を張ってギャルゲーが好きですよって言えばいいんじゃないかなぁ。ちょっと説明が難しいんだけどね…。