ゲド戦記

ついにゲド戦記見にいってきました。


ネットでの評価をみると賛否両論でどっちかっていうと酷評されているようですね。僕はおもしろいと思いましたが酷評の理由も納得できるものです。見る前のスタンス、予備知識によって評価がわかれているようですね。酷評している人は期待が高過ぎたんでしょう。


僕のスタンスは、”どうせ小説は読むだろうけど、原作は長くて読むのが大変そう。映画をみて読む勢いがつけばいいなぁ”というものなので小説を読みたくなるような内容ならば満足なのです。


僕が持っていた予備知識を整理しておくと、

  • ゲド戦記指輪物語ナルニア国物語と並ぶ3大ファンタジーの一つ
  • 内容は哲学的で難解、大人のための児童文学
  • 映画でやるのはゲド戦記3巻でゲドは既に大人になっている
  • テルーの歌は既に何度か聞いているが非常に良い歌
  • ネットではけっこう酷評されているが、クライスさんはおもしろいと言っていた

くらいですかね。


始まる前にパンフレットを読んだのでそれも予備知識に加えると

  • 親殺しのストーリーで宮崎ごろうの父親越えと対応している
  • そのためジブリの原点に立ち帰るように作られている
  • ゲド戦記は力をもつことにより、自分の中に悪(?)が生じるとしていて自分の中で生じる悪に対抗するという異色のファンタジー

といったところでしょうか。


ネタばれ詳細感想の前に簡単な感想を述べます。
僕はこの映画でゲド戦記の伝えたいテーマを自分なりに感じとることができました。最新CGって感じはしませんでしたが、映像美も特に悪くもなく、音楽はすばらしい。テルーが歌うシーンでは歌詞の意味を考える前に、何か伝わってきましたよ。きっと小説では伝わらないことも伝わってきていると思います。
ゲド戦記の扱う哲学的なテーマを映画というメディアで伝えるのは難しいと思いますが、この作品はそこにチャレンジしており大変な意欲作です。監督の父親を越えたいという思いに共感できれば、今後応援したくなると思います。


さて、見てない人はこのあたりまでにしておきましょう。
以下はネタバレ感想とします。今までのジブリ作品のネタバレもあるので気をつけてくださいね。


まずくだらないとこからいきますが、僕はテルーの顔がちょっと納得いかないですね。もっと火傷のあとが酷くてもいいのではないかと思いました。あのくらいだとまだ十分かわいい。”これくらいにしとかないとヒロインの立場が危うい”と製作者は思っているのでしょうか、見くびられている感じがしてしまいます。もっと酷い火傷でもテルーを好きになれるし、そっちのほうが強さが伝わってくると思うんですけどね。


この映画のテーマは子どもから大人への成長ですね。冒頭のシーンが父殺しであるところからそれはすぐわかります。”ふーむ、じゃあこの映画で大人になるってどういうことなんだろうなぁ”と思ってみていると、自分の影や、(父殺しの)責任を認めるということだという解答が得られます。また、生きることから逃げない決意をするというのも重要なことですね。これを悟るアレンとテルーのシーンはセリフが長いのがちょっと残念です。せっかく映画なんだから少し説得力を削ってでももっと行動で示せればいいと思うんですけどね。でも、もののけ姫の「いきろ」っていうのより説得力あったと思いましたよ。


原作を読んでないので勘違いかもしれませんが、ゲド戦記ではわかれたものが一つになって完成するということが重要な意味を持つように思いました。今回のアレンの影しかり、ゲドの過去しかり、そしてかつて人と別れた竜と協力するというところしかりです。これは原作を読んで確かめてみようと思います。最初に竜のシーンがあって賢者が竜と人との関わりについてわざわざ述べているのも、真の名前を教え合うシーンでなぜか竜が飛ぶのも、人と竜と協力していくってことの伏線として感心しましたよ。いい構成なのではないでしょうか。


描写としてはかつてのジブリ作品を思わせる部分が多く、”一つ一つ越えようとしてるんだなぁ”と感慨深く見させていただきました。冒頭の犬に追われるシーンはもののけ姫かな。テルーが剣をもって城に乗り込んでいくシーンはラピュタを感じました。男女の構成が逆ですけどね。階段から飛び移るシーンもラピュタを思わせます。そして、テルーが竜になるシーンは千と千尋の神隠しのやはり男女の構成が逆なパターンです。クモは顔なしとかそういったものっぽさがありますね。


こうやって感想を並べてみると、確かに映画自体の評価と言うより、この映画が僕に考えさせたことが中心となっています。そういう意味ではこの映画は完成度が低いとか説明不足だとか言われてもしょうがないのかもしれません。しかし、パンフレットにも書いてありますけど、ゲドはアレンに直接的な答を与えるのではなく考えさせるために言葉を吐きます。この映画もそういう狙いなのかもしれませんよ。