xxxHOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル 西尾維新

×××HOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル

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おひさしぶりですね、西尾維新。思わずそんな挨拶から入ってしまいます。


西尾維新はこのブログのなかでも何度も何度も言及してきた作家です。代表作は少し前に完結した戯言シリーズ*1でしょう。僕はその他いくつかの作品も読んでいます*2。この戯言シリーズですが、僕の中での評価はシリーズ前半と後半でずいぶん異なります。前半では”自分は無力で価値が無い”といったようなネガティブで自虐的な価値観に共感できましたが、後半ではそのノリに共感できず、内容にも飽きてしまいました。これは西尾維新の作風の変化というよりも自分の価値観の変化によるところが大きいと思います。
僕と同じような考えをもっている人がどれだけいるかわかりませんが、僕はそういった変遷をたどってきました。これまでと同じようなネタではあまり読む気が起こりません。戯言シリーズを終わらせ、西尾維新は次に何をするのか?その挙動に注目が集まります。


そんな中、西尾維新の新作は二作のトリビュート作品でした。一作はこれで、言わずと知れたCLAMPxxxHoLiCのもの*3。もう一冊はDEATH NOTEです*4。DEATH NOTEのほうは漫画の本編のぐだぐださにひきづられて読む気がおこらないので、こちらの感想だけとなるでしょう。


感想に移る前に少し本書の構成などを紹介しておきます。本書は3話で構成されていて、それぞれのタイトルは、

  • アウターホリック
  • アンダーホリック
  • アフターホリック

となっています。雑誌ダ・ヴィンチのインタビュー記事に載っていたのですが、アウターホリックでは原作のイメージを大事に、アンダーホリックでは自分の色を出して、アフターホリックは原作の最終回を先取りするかのように、書いたそうです。アウターホリックはコミックファウストで同じ話があるんですね。僕は未読ですが。


長々と続けてきましたが、そろそろ本作の感想を述べたいと思います。


まず技巧的な話をさせてもらえれば西尾維新はほんとうに器用でうまい作家だと思います。台詞や冗談の入れ方がうまく、侑子のボケ方、四月一日(わたぬき)のつっこみ方、全く違和感がないですね。笑わせてもらいました。
原作のほうではよく重要な台詞の漢字にカタカナでふりがながふってありますが、このへんも意識して雰囲気づくりをしてますね。ひらがなにもカタカナで振り仮名をふってちょっとやりすぎなくらいです。カタカナで振り仮名をつける、それが『必然(ヒツゼン)』。といった感じです。


次に内容的なことが言いたいのですが、これがなかなか難しいですね…。西尾維新の作品は感心はすれども感動はしない。ここがよかった〜!ってなかなか言えないのです。今回はトリビュートという性格上、”西尾維新XXXHoLicをどう考えているのか”ここに焦点をあてていきたいと思います。


本作の一、二話目は人間が原因となって事件が起きます。原作にも何作かあるタイプの話で、例えば、うそつきの女のひとの話とか言霊にしばられる姉妹の話などが挙がると思います。本作でも冒頭で京極夏彦の引用をしていて、不思議な妖怪ものにしないで、人間に着目する意図がみてとれます。


また、三話目は非常に特徴的だと思います。三話目はまずレトリック(?)が目をひき、中心となる話題が眼球地球論というある種荒唐無稽なものなため、見過ごされがちですが、HoLiCにとって本質的な問題を取り扱っています。すなわち、”四月一日がアヤカシを見る目をなくしてしまったらどうなるのか?”という問題です。それが目的で侑子の店でバイトをしているのに、願いがかなえられ侑子の店が見えなくなり…といったことに四月一日はひどく困惑します。1話目で願いが叶ってしまえばこんな困惑はなかったでしょう。四月一日はアヤカシや不思議なものに関する考え方が変わっていっていますね。原作でも、出会いが人を変えていくということをテーマにしており、三話目はHoLiCの中心的なテーマをとらえていると思います。


本書はトリビュートなので、僕の疑問である”今後西尾維新はどういった方向性で本を書いていくのか?”に答えたものではないと思います。次のオリジナル作品に注目していようと思います。