能動的な好意

単なる直観なんだが、僕も含めておたくっていうのは何かを愛したいんだと思う。


たまにここにコメント書いてくれるヨネジも「萌え」はいろんなキャラから自分が気に入った部分を
合成して構成するって言っていたし、僕のゴスロリ好きもしょせんちょっと誤解されがちな女の子の理解者になりたいというヒロイズムの下、実物のゴスロリは見ずにいいところだけ覚えてる。


こうやって相手のいいとこだけ見るっていうのはつまり相手を好きになりたいってことで、まず能動的に愛したいっていう気持ちがあって愛す対象のほうはけっこう二の次になってしまうんじゃないか。


相手を好きになりたいってのは善意なんだけども実は相手の実像(なんてものは難しいがとりあえず相手の自己像でいいや)から離れっていってしまうものなのかもしれない。


まぁだからアニメはだめだオタクはだめだって言うつもりはなくて、実際の女の子が好きな普通の人もこういう傾向は当然ある。むしろ社会的な常識というもので無理やり好きなものを作らされてないか?


僕が最近思うのは「女の裸がエロい」ってほんとか?ってこと。実際にやるときってここで起たなかったら相手に申し訳ないなぁとか思って頑張って欲情してないか?乳とかほんとは特に興味ないのにまぁ常識的にはもんどくべきだなとか思ってないか?(男の体と違うってとこで興味は持てるけどその興味はちとエロとは違う気がする)まんこ舐めて「うっえぐい、まずいなぁ」と思ってもいやいや僕は舐めたいんだ、舐めるのが気持ちいいし、相手も気持ちよくなってくれるんだとか自分を無理やり納得させてないか?


なんかSMとかアナルとかエロゲーにはよくでてくるけど、それほんとにしたいのか?それエロいのか?冷静になってみると馬鹿みたいじゃない?


月並みな結論で締めくくることにすると、「自分の感じたまま」を大事にしたいって締めになるのかな。
素直に生きるのもいろいろ限界があるとは思うけど、素朴な目で見たほうが幸せには近いんじゃないかな。
少なくても無理が少なくなると思う。