スパイラル〜推理の絆〜 作:城平 京 画:水野 英多

スパイラル―推理の絆 (1) (ガンガンコミックス)

スパイラル―推理の絆 (1) (ガンガンコミックス)

これはたぶん最初はアニメ見ておもしろいと思って漫画を買った気がする。

問題にしたい点は二つあって竹内理緒と11巻の真相である。

  • まず竹内理緒なんだか、城平京のあとがきによると

理緒は「男性が思わずきゅっと守ってあげたくなる」ような外見ながら、あらやる意味で自立した娘さんなのです。
自立した人ほどかっこいいものはありません。

という感じの子にしたかったらしい。それは成功していると思う。

スパイラルは彼女の幼女っぽい外見に支えられている部分は多いだろう。
実際僕も中から好きなキャラクターを選べといわれたらひよのか理緒だろう。
まぁ幼女というと僕ははじめてのおるすばんあたりを思い出すのだが、
あのゲーム(さらに続く作品でも)では二人のタイプの幼女を登場させている。

ひとりは普通の子どもっぽい感じで、少しどじっこだったりする。
つまり「男性が思わずきゅっと守ってあげたくなる」感じの子である。
助けを必要としているという雰囲気を全身から発している。
もう一人は小悪魔的な感じの子どもっぽくない感じの子である。
しかし、小悪魔的というのはつまり、結局自立しているわけではなく、男に助けを求める際にお願いするのではなく、形式上命令したり利用したりという方向性を持つというだけの話のように思う。
男性の視点からすれば、これは相手の言いなりになりたい欲求に応じているだけの遊びであり、実際的な力関係は男のほうが上なのではないだろうか。
金をはらってMプレイをするという心境に近い気がする。

この組み合わせは男のニーズに合っていると思う。
しかし竹内理緒の場合は幼女の外見で、自立していない、助けが必要なことが予想されるのだが、実は自立しているということで男性の願望が直接反映しているような設定からは少し離れていて面白いと思う。

  • あと11巻で事件の全貌があきらかになるのだが、

いままでの路線と違ってかなりファンタジックになっている。
その理由を城平京があとがきで説明していていて

(なぜ現時的な真相をやめてファンタジックにしたのかというと)
その「現実的な真相」は「現実的な思考と方向と手続き」によって解決できるからでした。
それはそれですっきりしていていいのですが、そのために「鳴海歩」が絶対必要か、というと「別に歩じゃなくてもなぁ」となったのですね。
(中略)
彼にある武器は知恵と勇気と推理。何ひとつファンタジックな能力を持たない(信じない)少年が、果たして非現実的だけれそど隙のない「ファンタジー」に勝てるのか?あるいはその「ファンタジー」がもたらした問題を解決できるのか?
この戦いはやはり「俺は何も信じないよ」と肩をすくめて言える少年でなければこなせないものではないでしょうか。

これはけっこう納得できるんだが、
その説明無しにはかなり違和感があると思う。
そういう意味では少々失敗していると思うのだけど、
ファンタジックにしたことを僕は肯定的に評価するのでがんばって欲しい。


あとちょっと思ったのだけど、ファンタジーに普通の人間が打ち勝つという構図は僕の最近レビューしたものによくある。空の境界しかり、涼宮ハルヒの憂鬱しかり。
普通のファンタジーでは主人公も成長して、自分もファンタジーの能力を使いこなすという展開だが、こういう設定では主人公が変らないことが重要だと思う。

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http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20040416#hajirusu はじめてのおるすばんのレビュー