自己充足かぁ

今日はhttp://d.hatena.ne.jp/narko/20040509を見て考えたことを書きます。


僕も友人と自己充足について話あったことがある。


具体的には「脳内彼女は可能か?」という議題であった。


僕は一応不可能という立場をとり、友人はもしかしたら可能という立場をとった。
僕が脳内彼女が不可能という立場をとったのは、自分と価値観の違う人間と付き合うことに価値を置いているからで、彼女にするなら自分を振り回してくれるような、自分では相手の思考が読めないような彼女がいいからだ。


しかし「幻覚として感じられる、自分では制御不可能な、他人には観測できない彼女」というものがありなのでは?という意見をもらった。


それに対して僕はそんなもん感じられたら病気だ。と回答してしまったのだが、それはそもそも脳内彼女とか言っている自体で病気なように思えるので、それを言ったらおしまいで議論は何も進展しなかったといえる。


次に「萌えとは何か?」という話あいの中で彼の個人的な萌え観を披露してくれたの
だが僕がまとめるところでは

最初はキャラクターそのものに萌える。
つまり綾波レイ萌えであり、無口萌えなわけではない。
しかしそのキャラクターを彷彿とさせながらもちょっとずつ違うキャラクターを他の媒体で見ていくうちに、だんだん良いところを吸収して、自分の中で理想の無口キャラが生成される。
これが無口萌えである。と
彼は同じことを僕に分かりやすくするためか、自分の趣味かはわからないが、メイドで説明してくれた。


僕はこういうことはちょっと考えられない。僕はまぁ無口キャラが好きだが、それは知性に結びついてるから好きなのであって(一ノ瀬ことみでも書いたが自分自身の理想)たぶん星野ルリが好きなことから始まったわけではないと思う。それに例えば一ノ瀬ことみ遠野美凪はほとんど同じだが、あんまり混ぜあわせたりして別の理想像を作りだしたりはしない。


理想の彼女ってどんな人を想像しますか?という質問には僕が想像できないような人がいいって答えることにしている。
でもまぁこれはけっこう当然なんだと僕は思える。欲望っていうのはないことから生じるんだから、自分にないものを求めて当然だと。


自己充足っていうのは自分とか自分の創造力で満足してしまう態度だろう。自分が知っていることを知りたいと思うことなんて無理だし、自分が持っているものを欲しがるのも不可能だと僕は思う。


ここまで書いて思いついたのは理想の彼女のあるなしっていうのは自分に足りないものを自覚しているかしてないかだけの違いのようにも思えてきた。
でもさらに反論を試みると「自分にこれがない」ってことを常に自覚させてくれる存在のほうが自分が気づいた足りないものを持っている存在より大切だと思う。