科学とか哲学とか

僕は科学っていうのも結局はある種の言語なんじゃないかと思っている。


物理なら物理学者のコミュニティの中で通じる言語が物理学でありその中で話が通じるというだけであって他のものと比べて正しいとか正しくないとかは別問題だと思う。天文学と星占いっていうのは等価なんじゃないか。確かに観測とあっていたり軌道を予測できたりするが、観測とあっているというのが天文学とか科学においては”正しい”の定義であり、占われた人が合っていると思ったり、その占いを聞いたことで人生を積極的にいきられるということが占星術にとって正しいことの定義なんじゃないか。だから天文学からみて占星術はただしくないし、占星術からみて天文学は正しくないかもしくは無意味だ。


しかし観測と合うとか軌道を予想できるということを社会は今まさに求めているのであり、科学における真実は多くの人が知りたいことなのではないかと思う。だから科学の真実なんてものは弱者が万能を求めて作り出した虚偽であるわけではない。弱者が万能を求めて探しているのは確かかもしれないけど、実際に何かを制御できる力はあると思う。


真実を求めることは自分が弱者であることの証かもしれない。ルサンチマンに焦がれているのかもしれない。でも弱者が力を求めて何が悪いんだろう?いいじゃないか、自分が弱いことを認めてそれを改善するだめに力を求める。別にいいじゃないか。何かになりたい。何かが欲しいということを失ってしまったら人は生きられないんじゃないか。手に入らないものを求めているわけではない。たぶん部分的には手に入る。その度合いを大きくしていけばいい。いつまでたっても弱者であり、いつまでたっても足ることを知らないかもしれないけど、それでこそ生きていることを肯定できる気がする。