生贄の教室 Will/FlyingShine

これは一言で言えば中途半端な作品です。
教室シリーズの完結版ということで
「贖罪の教室」、「贖罪の教室 Bad end」
「傀儡の教室」、「傀儡の教室 Happy end」
が含まれていてお得なんですけど
それらをみんなクリアーしないと先にいけないのは
ちょっとめんどくさかったです。
この話はさらに「監禁の教室」、「七瀬の教室」、「物語の教室」、
「生贄の教室」、「生贄の教室 funny」で構成されているのですが
正直「贖罪の教室」、「監禁の教室」、「七瀬の教室」、「物語の教室」だけ
あればいいかなぁって思いました。
ただそれは物語としてのまとまりという観点からで、
エロゲーとしては他の話も意味はあると思います。
めんどくさくてかなり飛ばしてしまったのですが、
"使える"シーンは多いのでしょう。

とはいえ野心的な作品としてかなりいいと思います。
やっぱり願望をただGAMEにするだけっていうのじゃなくて
意外性はUserにとっても好ましいものであると思います。
(意外すぎて怒っている人もたくさんいますけど)

このゲームちょっと反則だとは思うんですけど
製作者がGame中にでてくるんですね。
そういうことをして物語に多層性がでてるとは思うんですけど、
僕は普通こういうのは好みません。
なんか主張がダイレクトに出てきやすいと思うんです。
製作者の主張であっても登場人物にしゃべらせてほしいといつもは思います。
なぜなら作品にとって製作者の言葉っていうのは
特別で言葉や行為の意味を規定してしまうところが
大きいので押し付けがましいからです。

でもこのGameではあまりに多層的すぎて
製作者の言葉でもないと物語にまとまりがなさすぎます。
そういう意味であっても良かったし
こういう形だからこそ伝わることも多かったと思います。
ちょっと製作者のKeNが美化されすぎだと思いますが…。

やっぱりCreatorだけあって
Gameへの問題意識はUser以上にもっていて
僕にとっては非常につぼでした。
まぁそういうUserのNeedsを感じられてこそプロなのでしょう。
Gameの中でGameの問題意識をかたるというメタ性が良いですね。
それは結局自己批判とか内省にも繋がると思います。
何しろ自分が今まさにGameしてるんですから。

教室シリーズの完結編ということで
かなり印象的な作りでした。
贖罪の教室で確立した心理描写を重視した重い話で
選択肢を選ぶという意味でのGame性を放棄した形式におさまらず、
製作者の主観や思い入れをいれることでマンネリになっていないと思います。
ただそもそもGame性を放棄した形式に新規性が
あったのはそれに負けないシナリオがあったからです。
今回かなりヴォリュームが多いので選択肢もなくだらだら
見ているとメリハリにかけたとは思います。

これはおもしろいGameでした。
それ以上付け加えることがあるのか
どうかよくわかりません。
今はとりあえず一回終わっただけなので
張られた伏線の意味なんかも
まだよく考えていません。
そういう意味ではあんまりすっきりしていないのですが、
でもそういう伏線を一つ一つみていくことに
あまり意味はないかもしれないかなぁって思っています。

僕ぐらいの世代のGamerはエヴァンゲリオンのMovementで
作品中の伏線の探求に疲れているところがあると思います。

とりあえずのエピローグに満足しているしこれ以上は必要ないかもしれません。
また新たな発見があるとKeNという人が
何を考えていたのか知ることが出来るかもしれないので
まぁ暇な時にでもってみることにします。

                                                                                                                                                              • -