娯楽の核で再訪するイマジナリィ・ボード

先日娯楽の核という概念を紹介しましたが、今回はそれを用いてゲームとしてのTRPGを解析したいと思います。基本的には高橋志臣さんの提唱するイマジナリィ・ボードのレビューとなっていますのでご了承ください。

娯楽の核による分析の利点

これまでゲームの評価にはあまり客観性のない”ゲーム性”という言葉が使われ、それが”おもしろさ”に直結しているという根拠の薄い論理展開が用いられてきました。

最近序論:ゲームとは何か コスティキャンのゲーム論を越えて - 未来私考で提案された概念は、これまでのゲーム評価法を一歩越えたものになるのではないかと期待しています。ここではゲーム娯楽の核(=素朴な楽しさがあるなんらかの行為)にそれを飽きにくくしたり、奥深くする要素(=いわゆるゲーム性のことだと思う)を加えたものだというモデルでゲームを評価します。

この結果、面白いかつまらないかとゲーム性を分離して考えることができるようになりました。つまり、おもしろいかおもしろくないかは、娯楽の核に共感できるかできないかで論じ、すぐ飽きるかどうかはゲーム性で論じることができるということです。僕は今までいわれてきたゲーム性というものはおもに後者のことを言っていたのだと思います。

ミニチュア・ウォーゲームの娯楽の核とゲーム性

TRPGに話を進める前に、TRPGの前身であるミニチュアウォーゲームをこの方法で解釈してみましょう。

僕はミニチュアウォーゲームの娯楽の核は”コマを動かすこと”だと思います。マップ上で単にコマを動かすのも楽しいですよね。コンピューターゲームのRPGでも最初はとりあえずぐるぐる動かしてみるだけで楽しいですが、それと似たような感覚です。

そして、ミニチュアウォーゲームのゲーム性とはまさに意志決定でしょうね。単にコマを動かしているだけでは飽きてきますが、コマをどっちに動かしていいのか迷う要素があるとコマを動かす度に慎重に物を考えるようになります。その迷いをあたえる要素が適切な難しさで継続的に与えられればそれはコマを動かすという行為からゲームとなります。

人生ゲームを評価するために…、物語性

次に意志決定のないコマを動かすゲームである人生ゲームをどう評価するのか考えていきます。

人生ゲームの娯楽の核はミニチュアウォーゲームと同じようにコマを動かすことだというのは、みなさん納得がいくのではないでしょうか。しかし、人生ゲームではまわしたルーレットの出目に従って進むだけですので、コマをどっちに動かしていいのか、迷う要素はありません。つまり意志決定がないんですね。

ボードゲーム業界では、この意志決定のないつまり一見ゲーム性のないゲームが日本では一番売れていることに冷淡な目が向けられているみたいです。ƒQ[ƒ€˜_EŠÂ‹«Œ^ƒQ[ƒ€‚ðŒ©’¼‚·もなんとか人生ゲームを褒めようとしているのですが、あまり成功していませんね。

今回は素朴な楽しさを飽きにくくしたり、奥深くする要素をゲーム性と定義しているわけですが、人生ゲームはまぁ割と飽きやすいですし、やりこんだという話もあまり聞きません。今回定義している意味でのゲーム性はないんでしょうね。しかし、人生ゲームには熱中する要素があると思います。それは、一つには競争です。これはすごろくには一般的に備えられている要素です。早くゴールをするという競争のほかにもお金の競争もあります。また配偶者や子供の数というのも競争の要素でしょう。人生ゲームには、スピード、お金、人としての幸せというえげつないものを競うデザインになっていて、今回の定義でのゲーム性はあまりないのですが、人が熱中して遊べるようになっています。これを物語性というのは言いすぎかもしれませんが、感情移入と熱中を得るためのメカニズムとしては人間をコマにしているということは大きいと思います。

ボードを取り去ったことによる娯楽要素の転換

TRPGに話を戻しましょう。ミニチュアウォーゲームがTRPGへ変化はボードの撤去をもってなされました。ミニチュアウォーゲームでは娯楽の核であった、コマを動かすというシンプルな楽しさが失われてしまっているように思います。TRPGで、娯楽の核とは一体何なのか、考え直さないといけません。

まず、コマを動かすという娯楽の核の延長線上で考えると、TRPGでは想像上の登場人物を動かすことが娯楽の核であると考えることができ、これが高橋志臣さんの提唱する<<イマジナリィ・ボード>>です*1

ボードを取り去る積極的な理由は、まずボードに限定されない幅広い状況を扱うためです。ダンジョンなら数種類のフロアタイルで表現できるかもしれませんが、街、森や山や砂漠…はたまた宇宙など想像力を広げていくと、あまりに大量のフロアタイルが必要となるでしょう。

このD&D(R)はロールプレイングゲームである。君は役者(キャラクター)となる。君は、誰か他の人物であって、その人のふりをしているだけなのだと想像してほしい。ただしステージも必要ない。必要なのは、想像力だけなのである。
 このゲームにはゲーム盤はついていない。全く必要ないのである。どんな大きなゲーム盤でも総てのダンジョン、モンスター、君のキャラクターを載せることは不可能だろう!

(プレイヤーズマニュアル p2 新和版 1985年より抜粋)*2

ただこれだけでは、ボードを取り去る理由としてはすこし弱いです。つまり状況さえ限られているならボードは助けになりこそすれ、邪魔になることはないですよね。実際D&Dでは結局戦闘ではボードを使います。TRPGという遊び方を肯定するなら、ボードを取り去る積極的理由がもっと欲しいところです。

その一つの解となるのはセッション中に行うゲームデザインという考え方です。ボードを広げてしまうと、使えるリソースがボード上にあるものに限定されてしまいますが、想像上で行っているならむしろリソースを増やすことは状況描写のディティールを与え、肯定的に評価されるでしょう。例えばTRPGのセッションでオークの部屋に酒樽が置いてあり、その酒樽を利用して相手の動きを封じるなんておもしろいですよね。ボードを広げてしまった場合、ボード上にない酒樽を利用するという考えは抑制されます。

TRPGでは、対話により逐次的にリソースが増減するという性質があります。それによりゲームの難易度も当然変わるわけで、それをゲームデザインと呼びました。困ったらリソースが増えるというのはやはり少し反則的に思えますので、最近出たシステムの”りゅうたま”ではゲーム開始時に、使えそうなリソースを書き出すことになっています。

まとめると、ボードを無くすことの意義は幅広い状況が扱いやすくなり、ボードがある場合には考えにくいようなリソース管理もできるようになることです。

イマジナリィ・ボードの射程

このイマジナリィ・ボードの内部での整合性に関しては議論を呼ぶところはそんなにはないのですが、TRPG全体に対してのイマジナリィ・ボードの位置づけはまだ議論がありそうなように思います。

まず、これはTRPGとはどういうゲームなのかを語ったものです。この概念はいろんなゲームとの比較で成立しており、雑談のおもしろさなどとゲームの面白さを比較したものではありません。この概念はゲームとしてのTRPGについて語ったもので、コミュニケーション・ツールとしてのTRPGに着目したわけではないですし、物語作成の一形式としてTRPGに着目したわけではありません。

よくゲームvsロールプレイとか、ゲームvs物語作成という図式を持ってくる方もいますが、ゲームを解析する立場でロールプレイや物語作成などを見たら変なことになるのは明らかです。それらを対立項として扱える客観的視点などありはしないのではないのではないでしょうか。おもしろさという基準はあまりに主観的すぎて、特に対立の図式で用いるには不毛です。

言葉遣いとしては、本質的とか本質とかいう言葉は慎重に使う必要があると思います。『TRPGの本質はゲームである。』といわれると、ゲーム以外の観点は従属的な意味しかないと言っているようで排他的です。ただし、『TRPGのゲームとしての本質は意志決定である。』という風に視点も付け加えてもらえると納得しやすくなります。

さて、『TRPGのゲームとしての本質は意志決定である。』という言葉を持ってきましたが、果たしてこれは本当でしょうか?次の記事ではそれを考えてみたいと思います。

まとめ

娯楽の核という概念を用いてTRPGを解析しました。

その結果TRPGの面白さの一つは想像上の登場人物を動かすというおもしろさで、意志決定がそれを奥深く飽きにくいものとしているという結論を得ました。

ミニチュアウォーゲームとTRPGの大きな違いはボードのあるなしで、ボードをなくしたことの積極的な意味は、ボードがある場合には想像できなかったものが想像できるようになることがあるというものです。

追記

ミニチュアウォーゲームからTRPGへ変化するところで、僕はボードの撤去を挙げましたが、もうちょっと違う観点もあります。

回転翼さん

RPGコラム 『うがつもの』: ミニチュアウォーゲームからTRPGになるまでの間にあったゲーム要素の転換
ミニチュアウォーゲームからTRPGになるまでの間にあったゲーム要素の転換 - きまぐれTRPGニュース - trpgnewsグループ
こちらは複数のコマを操ることから一つしか操らないことをもってなされているという立場です。そのせいでPL間で対立するゲームからPL間で協力するゲームになっているというのを綺麗な流れで説明しています。

牡牛さん

http://www.scoopsrpg.com/contents/orshi/orshi_20080521.html
http://www.scoopsrpg.com/contents/orshi/orshi_20080626.html
また、CRPG式のコマンド戦闘とボードゲームの戦術を比較してボードがなくなっても十分な戦術の選択の確保ができているという意見もあります。

ロールプレイ支援ルールのゲーム性

さて前の記事ではTRPGのゲームとしての側面を考察し、主に想像上の人物を動かす楽しさに意思決定を加えることで成立しているゲームについて考えました。

今回は、もうちょっと違うゲームも同時に行っていないのか考えてみることにします。

娯楽の核の拡張

前の記事ではゲーム性を素朴な娯楽を飽きにくくしたり、深みをあたえるものとしていましたが、もう少し広い意味でのゲームを考えたいので(意志決定以外のゲーム要素を考えたいから)、Jesper Juulのゲームの定義を持ってきましょう*1。ただし6は今回の問題意識とはあまり関係なさそうなので考えないことにします。

  1. ルール: ゲームはルールに基づく。
  2. 可変かつ数値化可能な結果: ゲームはさまざまに変化しうる数値化可能な結果を持つ。
  3. 起こりうる結果に課せられる評価: ゲーム結果に良し悪しなど価値が付加されている
  4. プレイヤの努力: プレイヤは結果に影響を及ぼすべく努力を傾けるということ。ゲームはプレイヤの手腕を問う。インタラクティブである。
  5. プレイヤと結果の繋がり: ポジティブな結果が発生すればプレイヤは「幸せな」勝者となり、ネガティブな結果が発生すれば「惨めな」敗者になる、という意味で、プレイヤは結果と繋がっているということ。
  6. 対価交渉の可能な結末:現実世界への影響を任意に割り当てることができる。ギャンブルとか。

今回のゲームの定義は素朴な娯楽に何かが加わって、以上のような特性を持つものとします。Jesper Juulの論では上記6つはゲームの必要十分条件で、何か欠けているものはゲームと非ゲームのボーダーラインに分類されるのですが、今回はいくつか満たしていれば良いことにしましょう。

例えば前回ゲームに入れなかった人生ゲームですが、コマを動かす+競争だとみることにより4以外を満たしてますね。逆に意志決定は主に4に重きが置かれたゲーム性でTRPGの場合1や2を満たしているかどうかは微妙なところです。

ロールプレイ支援

さて、やっと準備が整いました。TRPGでロールプレイ支援と呼ばれるルールがあるものについて、娯楽の核とゲーム性を解析してみましょう。

ロールプレイ評価

天羅やカオスフレア、番長学園などに搭載されているロールプレイ評価のゲーム性を考えてみましょうか。具体的に言うとロールプレイの上手さやノリの良さを評価して、良いプレイヤーにはポイントを付加する仕組みのことです。

これは、娯楽の核はきっと相互承認ですね*2。要するに人に認めてもらえるのが嬉しいという気持ちです。それに発言を評価する要素が加わっていると考えます。

  1. 厳密かどうか微妙ですが、ルールに基づいていることは確かです。
  2. 基本的に数値化可能な結果をもたらします。
  3. ポイントを多く集めるのが良い結果です。
  4. おもしろいことやPCの背景・感情に沿ったことを言う努力が必要です
  5. そのポイントが戦闘を有利にします

1以外は確実に満たしていますね。ロールプレイ評価とはTRPGの(あるシステムの)ゲーム性の一つだと言えます。搭載されてないシステムではゲームになっていない相互承認という娯楽の核をゲーム化したものといえそうです。

カードに沿ったセリフを発言

最近発売されたシルバーレインには、ロールプレイ評価とは違うタイプのロールプレイ支援ルールがあります。このゲームではカードを使うのですが、カードを出すときそのカードに書かれたキーワードを用いたことを言うとポイントが加算されます*3。さて、このルールの娯楽の核はやはり想像上の登場人物を動かすことですかね。セリフをいうことで自分のキャラクターへの感情移入を促進し、登場人物を動かすことに熱中させます。

  1. 明らかにルールに基づいています。
  2. 基本的に数値化可能な結果をもたらします。
  3. ポイントを多く集めるのが良い結果です。
  4. 基本的にはあんまり努力は要らないような気がします。恥ずかしいことと難しいことは別なような…。恥ずかしいことも抑えるのに努力がいるというなら努力要素はあります。
  5. そのポイントが戦闘を有利にします

4以外は満たしてますね。上達要素がありプレイヤーの手腕を問うということはゲームを飽きなくするという意味ではいいのですが、初心者が参入しにくくなるという問題も含みますので、そのあたりを踏まえてデザインなのでしょう。人生ゲームに4がないのも同じ理由でしょう。

まとめ

娯楽の核のアイデアを素朴なおもしろさとそれに付加される要素と見なして拡張し、ゲームを広く定義しなおした上で、TRPGにおけるロールプレイ支援ルールのゲーム性を論じました。

TRPGには想像上の人物を動かすという娯楽の核のほかに、相互承認するというおもしろみがあることを指摘しました。

ゲーム性に関してプレイヤの努力があるものとないものでは上達するしないの違いがあるので、飽きなさをとるか、初心者の参入のしやすさをとるのか、そのデザインの違いなのではないかと指摘しました。

余談

実はこの記事は、前に書いた会話を中心要素に添えたTRPG観について書こうと思って出発したものです。

TRPGとは人と会話するという娯楽の核に、ゲーム要素を加えたものであるという認識になりますが、こういったTRPG観もなかなか面白いのではないでしょうか。
TRPGによるソーシャルスキルの獲得 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

しかし、娯楽の核による分析は基本的にゲームに関するものなので、雑談みたいなものの価値を積極的に評価するにはうまく使えませんでした。もうちょっと別の文脈を考える必要がありそうです。