成長して終わる物語と成長を繰り返し終わらない物語

最近全然TRPGもしてないし、昔はいっぱい読んでたTRPG論考も全然読んでないんですが、紙魚砂さんが”若者の成長物語”の話をしていたのが面白かったので久しぶりに論考しちゃいます。考えをまとめるのも疲れるので雑談的なお話で勘弁してください。

紙魚砂さんの話は成長物語とは途中でキャラクターの目的が変わる物語であり、それをなるべくPL主導の形で実現するにはGMはどうサポートするべきかというお話だと読みました。キャラクターの抱える欠陥とそれの充足もまた合わせて議論すると面白いのではないかと思います。

僕はそのお話自体は大変もっともだと思うものの、成長物語というのは今時もうちょっとバリエーションがあるもので、途中でキャラクターも目的が変わるというのももちろんあるけど違う形式もあり、むしろそちらが主流なんじゃないかという疑問をいだきました。

スレイヤーズ以降、ほとんどの物語では主人公が世界中でもだいぶ強い状態から始まっており、個人的な動機から冒険を始めたのが社会的な動機になっていくというよりも世界を救うなど社会的な動機を果たす中で、個人的な動機を見つけていくような話が多いような印象を持っています。そうした状況の中でスターウォーズみたいなテンプレートがどこまで標準的なのか疑問を持ちます。

昔xenothさんと話していた時に以下のような意見が出たことがあります。

確か、新城カズマさんの指摘だったと思いますが、学園物のテーマというのは二つあって。

・幸せな学園生活=青春がいつまでも続いてほしい(永遠の楽園)
・でも、いつか、卒業する(いつか終わる楽園)

この二つである、と。
TRPG者がラノベ的って言うときの乱暴さ - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むにおけるxenothさんのコメント

ジュブナイルな小説のテーマとして、子どもが大人になるというのも重要ですが、子供が大人にならないこともまた重要なのではなかろうかと思うわけです。

この手の話でよく挙がるのは、映画版うる星やつらビューティフルドリーマーエヴァンゲリオン涼宮ハルヒの憂鬱ですね。

涼宮ハルヒではハルヒが、宇宙人や未来人や超能力者を冷静に捉える大人になってしまったら物語が終わってしまいます。それを先に引き伸ばしながらも、一話一話でハルヒが成長してないこともない、そんな話になっていると思います。

TRPGに話を戻しますが、ダブルクロスアルシャードガイアではオープニングとエンディングににたシチュエーションを持ってくることが多いと思います。そこでは似たシチューエーションながら、隣にいた人がいないとか、逆に人が増えているとかどこが違う演出がなされます。完全に同じシチュエーションにしても冒険を一つ乗り越えたあとではまた違った感慨を抱くこともあります。こうした”元に戻る物語”もある種の成長物語と捉えるべきなんじゃないかなぁというのが僕の意見です。

キャラクターの目的が変わってしまう物語というのは、大人になって終わってしまう物語で、同じような状況に戻る物語というは成長途中で続く物語なんだと考えるとすっきりするような。

TRPGでもいろんな問題ごとを一話一話クリアしていく依頼代行型のシナリオパターンと大きめなキャンペーンシナリオの2パターンあり、それぞれが上の二つの物語の種類に対応しています。紙魚砂さんの話もこうした全体像の中でどこの話をしているのかつかむとよりわかりやすいのではないでしょうか。