赤朽葉家の伝説 桜庭一樹

赤朽葉家の伝説

赤朽葉家の伝説

かなり積んでいた赤朽葉家の伝説ですが、ふと読み始めたらとまらなくなってしまい、あっという間に読了してしまいました。僕が持っているのは2006年に出版された初版本なので下手すると3年も積んでいた本でしたが、読む気にさえなればあっというまですね。引っ越したあと通勤中に本を読む時間がなくなってしまいましたが、大きめな本を家で腰を据えて読むのも良いかもしれません。


この本は、祖母の赤朽葉万葉と母の赤朽葉毛鞠の話を娘である赤朽葉瞳子がまとめなおし、最後に自分の話をするという形式になっています。それぞれの話に章が割り当てられ、三部構成となっています。

第一部、祖母の話は1953年から1975年までで戦後復興と近代化が取り扱われており、第二部、母の話では1978年から1998年は若者の理由なき反抗や製造業からサービス業、コンテンツ産業へ重心が移っていく時代を取り扱われています。これら第一部、第二部は万葉や毛毬を中心としてまとめられているものの、近代日本のよいレビューになっており、瞳子の時代、つまり、2000年以後の神話も反抗もない、何も語るべきものがない時代へ続いていく様がよく見て取れます。

第三部では、今までとは調子が代わり、急に話がミステリじみてきます。第一部や第二部で語られたことを題材としたミステリで、この本は東京創元社から出ている本だったことを、そういえばと思い出しました。良いアクセントになっていると思います。

登場人物も魅力的でした。赤朽葉家は女系一族で、とにかく女性がパワフルでした。男性はいい味をだす脇役といった風です。登場人物の中では祖母、万葉の実直な人柄は特に好感が持てまして、読んでいて気持ちよかったです。

読後感も希望が残るもので非常に満足でした。娘、瞳子の部はゼロ年代的といってもいいような、無気力感、終わった感がただよっています。しかし、それも時代の一つの空気であり、祖母・母の時代に人々がその時代の中で戦ってきたように、この無気力な時代もそこに適応し戦っていけばいいのでしょう。こうした無気力さに共感を覚えるものとしては、少し元気をもらえたようなそんな小説でした。