蒼穹のファフナー


僕らは目指した〜シャングリラ〜♪と、熱いオープニング曲の蒼穹のファフナー見ました。この歌ほんといい曲ですね。無駄に元気がでます。歌詞のほうはよく考えると結構奔放な気がしますが。

そして、さすが脚本が冲方丁。度肝を抜かれる展開に深いシナリオとだいぶ楽しませていただきました。ネタバレですけど、物語の最初のほうにすげー重要そうなキャラが死んだりと、ほんとにびっくりしましたね。

ところで、エウレカセブンを見たばっかりだから気がつくのかもしれませんけど、ロボットもので、敵が自分と同化してくるってネタは多いですね。暴力による同化というのは、洗脳に近いですから、悪として設定しやすいのかもしれません。ロボットものだと戦争物にしたくなるわけですが、しかし、さすがに近代の戦争物となると、勧善懲悪というわけにはいかないでしょう。こういった複雑な社会を生きる僕らは相手には相手の事情があると考えてしまう傾向にあります。

ではそのとき、同化とは何を表しているのでしょうか。ぱっと思いつくのは”理解”でしょうかね。理解というのポジティブな言葉に聞こえますが、強引に理解したり理解させようとしたりすると暴力になります。その結果”世界全員と分かり合える”といういわゆる世界征服を目指す悪が誕生することになります。

エウレカセブンは戦争物というよりボーイミーツガールものという印象が強いですが、そうすると理解できない世界である他者を恋愛という過程の中で理解できる世界である自己にしていくのか、あるいは理解できないまま認めていくのか、そのあたりが重要になってくることでしょう。

このファフナーの場合、ちょっと変わっていると思うのは、同化というのは自己嫌悪に端を発してるというアイデアです。自己嫌悪が強い人ほどファフナーに同化できて強いという設定になっています。同化に対するこういった解釈はこういったロボットものの中でもなかなか斬新だったように思いました。わりとありがちな同化を目指す敵という題材がオリジナリティをもってきます。

さて、それで結論は言葉にしてしまえばあっけないですが、”傷つけあいながらも学んでいく”ということでしょうか。一騎と総士の関係もそうですし、フェストゥムと人間の関係もそうです。