ゲームデザインを管理するのか自由にするのか

鏡さんの論考がどうも納得いかずいろいろ調べたり考えたりしてみたところ、自分のTRPG観がかなり整理されました。今日はその整理について述べます。TRPGっていうのはこういうものですよっていう話で、TRPGではこうするべきだって話ではないので、はっきりとした結論がある話ではないのですが、鏡さんの論考などが腑に落ちない方には、考えるヒントになるんじゃないかと思っています。今日は特に鏡さんの言うところの管理のお話。

セッション=ゲーム+ゲームデザイン

セッションは二つの要素で構成されると考えます。ゲームデザインとゲームです。ゲームデザインとは、こういう選択肢があったら悩ましくて面白いという選択肢を作ることで、ゲームというのはゲームデザインで作られた選択肢を実際に選ぶこととします。

さらに具体的に言うとゲームデザインとはコストが付加された選択肢を設定することです。例えば誰かに追われているという状況を考えた場合、見つかりにくいが移動に時間がかかるというコストが設定された”山道”と見つかりやすいが移動に時間がかからない”街道”という選択肢を提示するなどです。

ゲームというのはそのコストが付加された選択肢を実際に選ぶことです。コストが高くかかる選択肢を選ぶことも自己責任であり、コストがかからない選択肢がなんらかの正解というわけではありません。

将棋を例にしますと、TRPGっていうのは駒を並べるところから始める将棋に例えることができます。使う駒やそれをどこに並べるのかは完全には決まっておらず、セッションの時間内でも追加したり配置しなおしたりします。

シナリオ=GMによって前もってデザインされたゲーム

セッションをするには二通り方法があります。一つはGMが前もって大枠のゲームデザインしてしまう方法で、デザインされたゲームの大枠をシナリオと呼びます。もう一つは、ゲームに使う小道具だけ決めておいてどんなゲームをを作るのかはPLと相談しながら行うという方法があります。このときの小道具をギミックと呼ぶことにします。

シナリオを使う場合

シナリオを使う場合でも、ゲームは大枠しかデザインされていませんので、ゲームを完成させる必要があります。GMは自分がデザインした大枠の中で自由度を設定し、その自由度の範囲内でPLにゲームデザインをまかせます。

ただし、PLはGMがデザインしたゲームを完全に把握してないので、GMの意図とは違ったゲームデザインをしようとする場合があります。その場合、GMは自分の作ったゲームについて説明し、そちらへ誘導します。誘導はゲーム以前の段階で使われる技術です。

将棋の例でいうなら、PLが駒を置いたり動かしたりしながら、GMの作った駒の配置を知っていくわけですけど、あんまりにもGMの作った駒とは見当はずれの場所にPLが駒を動かそうとしないように、方向を示唆するのが誘導です。

ギミックのみ使う場合

ギミックのみ使う場合には自分がどのようなゲームをするのか決めるところから始まります。ギミックを使ったほうが面白そうなら使えばよいし、GMが用意したギミック以外の要素でもりあがった場合にはそちらを優先しても良いでしょう。

将棋の例でいうなら、駒を置きながら、普通の将棋をするのかはさみ将棋をするのか、将棋の駒を使ったオセロをするのか決めるようなものです。

ゲームとメタゲーム

前節でシナリオを使うかギミックのみを使うかで、GMがメインにゲームデザインをするのかPLがメインにゲームデザインをするのかが変わってくることを述べました。GMがメインにゲームデザインするときに、PLはGMの意図に沿ったゲームデザインと実際のゲームを行います。

例えばPLがシナリオハンドアウトを選択することはゲームデザインで、自PCの戦士がゴブリンに対して剣を振るかどうか選択することはゲームです。シナリオハンドアウトを選択するというのは、どうやったらゲームが面白くなるかという観点から選びますが、ゴブリンに対して剣をふるかどうかは、既に負荷されたコストのどれを選び取るかで決定します。シナリオハンドアウトの選択はゲームではなくメタゲームをしているということに注意してください。

メタゲームであるシナリオハンドアウトの拒否を基本的にはしないほうがいいのは、これはゲームをおもしろくするために必要だろうと提案されたものなので、単純な拒否はゲームをつまらなくすることを提案しているようなものだからです。元の提案を改良することは可能ですが、完全に拒否することはできません。シナリオハンドアウトを拒否するコストが設定されていると合意している場合には拒否してもいいですが…。

こういったメタゲームはハンドアウト以外にもいろいろあります。例えば以下のようなものでしょう。GMではなくPLから提案される場合もあります。ゲームデザインがメインにGMによって行われる場合にはGMから提案されることが多いでしょう。

  1. パーティ編成はバランス良くする
  2. 時間が押してきたら展開を巻く

一方、ゲーム内の選択は拒否することも選択肢のうちです。ゴブリンがなぐりかかってきても、剣を振らないことはきちんとコストづけがなされているなら有効でしょう。

鏡さんの論が納得しにくい原因は、管理する遊び方においてGMがゲームの範疇にある選択にまで口を挟んでくるという印象があるからだと思います。

ハンドアウトやパーティ編成などはメタゲームらしいメタゲームですが、以下のようにゲームなのかメタゲームなのか微妙な例もあります。あまりにたくさんのことをメタゲームで決めてしまうと、いつゲームをするのかという問題が生じるのでそこは気をつけなくてはいけません。

  1. ヒロインは基本的に助ける
  2. 無暗に生き物を殺すのは寝覚めが悪いので止めをささないようにする
  3. 子供が死ぬシーンはでてこないようにする

PCの行動/NPCの行動という役割分担と ゲーム/ゲームデザインの役割分担

鏡さんの論はPCの行動はPLが管理すべきであり、NPCの行動はGMが管理すべきであるという立場に基いています。その場合、PLが管理すべきPCの行動までGMが口を出してくるのが越権に感じられるのかもしれません。

しかし、ゲームデザインはGMが行うべきであり、ゲームはPLが行うべきであるという立場に立った場合、PLがGMゲームデザインを無視することのほうが越権となります。

実際のところTRPGはこのあたりの役割分担が曖昧です。曖昧なこと自体は決して悪いことではないと思うのですが、揉めやすいところかもしれませんね。

まとめ

わかったつもりでも書いてみるとなかなかまとまらないものですね。結局何度も書き直しながら長文になってしまいました。

(×追記)要するにゲーム内の選択肢はどう選ぼうが自由だけど、メタゲームの提案は基本的に却下するべきではない、鏡さんの論考ではゲームとメタゲームを区別してないので、ゲームなのに選択できないと主張しているように見えておかしいですよって事がいいたいのでした。

(○追記)要するにゲーム内の選択肢はどういう遊び方をしようと自由。そしてゲームデザインの部分を主にGMがやっている場合には、PLはGMに従う必要がある。鏡さんの論考ではゲームとゲームデザインを区別してないので、ゲームの部分でさえPLはGMに従うべきであり選択できないと主張しているように見えるので、おかしいですよって事がいいたいのでした。

参考資料

http://homepage3.nifty.com/sociology/glossary.html
ゲームデザインとは選択肢にコストをつけることというのは、この記事を参考にして考えついたアイデアです。
ゲームでPLが選択しようとしている際、GMが作っているのはあくまで行動の前提であって、行為そのものを命令しているわけではありません。鏡さんはそこをうまく言葉に出来てないと思います。

http://blog.talerpg.net/rpg/archives/195
よく誤解されますが、誘導というのはゲームのヒントではありません。後の選択肢をおもしろくする制限のための提案です。強制じゃなくて誘導することはPLの動機をゆるやかにそちらに向けるという意味で重要ですね。リンク先はAマホの話なのでちょっと僕のした話と接続が悪いかも。

『テーブルトーク・ロールプレイングゲームとは』(TRPGの定義) - 工房匠
メタゲームによって作るのはここで言われているセッションの規範って奴ですね。