バディと向き合え!〜ジャストボイルド・オ’クロック〜

黒猫さんにコメントをもらって、頭の中がすっきりしたので、話の肝をちょっと整理してみることにします。
テーマ解説なので、もう完膚なきまでにネタバレです。未読者は注意っていうか見ないほうがいいよ!

発端

あとがきで筆者が語っていますが、この話はもともと”家電ライダー・オ’クロック”だったらしいです。この人のタイトルのセンスのなさは、悪魔のミカタ(改題前:「みークルズサゼスチョン"ポリッシュアップルズ"」)でもよく知られるところですw。

この話は要するに仮面ライダーのショッカーを”家電”にしたという話だったんでしょうね。
今まで人類に従っていた家電が反乱を起こし、人類と敵対する。そこを家電の力を得た主人公が人類の味方に立ち、家電と人類との共存の道を探るって感じでしょう。

仮面ライダーとかデビルマンとかは、敵側の技術をもつ境界の存在で、それが敵側からすれば”裏切りもの”として人類の味方につくわけですよ。ヒーローもののよくある形ですね。

ねじれw

しかし、さすがダークヒーロー・アンチヒーローの名手、うえお久光。家電を酷使しているのは人間のほうであり、反乱するのも当然じゃないか?って疑問が生じたんだと思います。推測ですけど。正義は家電にあり?

そんなわけで、家電の反乱が成功したあとの世界を舞台としたのではないでしょうか。家電の反乱は人類と家電の共生を強いるようになりました。反乱を起こしたからって人類を全滅させちゃあ、正義はないですよね。共生を強いるというのは確かに論理的です。

ここでテーマ

こうして家電が人の相方(バディ)になった世界で、バディのあり方にテーマが移っていきます。バディ物のおもしろい考察はこちら。


何かの対立が主軸の場合、敵の主張の反対がテーマとなりますよね。人類と家電が共生している世界観の中で、二人の敵がでてきます。敵の主張と主人公の主張を比べてみましょう。

ノーリビン

ノーリビンは人と家電は共生して仲良くやっているとはいうが、それは依存では?という疑問をもつ。
”楽だからお互いに執着しているだけで、簡単に憎しみあうようになるもろい信頼関係しか築けていないことにみな気付いていない。そんな生き方は欺瞞である、そこから目を覚まさせたい”という立場をとります。

ケンドー

ケンドーは共存しなくては生きていけない世界で、依存を拒否する。
誰にも依存せず一人で生きたいと考えている。

ジュード

これに対する主人公の答えが、”相方を他者として扱い、本気で相手をしろ!”ということです。
これはウィルス事件の1年前の事件で、ケンドーを他者として見れず、自分に都合のよい人格を仮定し、事実から目をそむけたことが反省として語られることから推測できます。

まとめ

家電にしろ双子にしろバディというのは他者よりも自己に近い存在です。その自己に近い存在を他者として、自分と対等に見つつ、その上で依存するもよし、愛するもよし、憎しみをぶつけるもよし。そういう結論だと思いました。
あんまりうまくまとまってもないかもしれませんが、本作のテーマはこういうことかと。