悪魔のミカタ666 2 スコルピオン・テイル うえお久光

僕の愛してやまない悪魔のミカタシリーズの最新刊です。待ってましたよ!

前回の感想は以下。インターバルは5ヶ月で、なかなかいい調子。

次卷、スコルピオン・デス・ロック(仮)で今回のスコルピオン編は一応終了らしいですが、年内にでるといいなぁ。いくらなんでも、伏線が回収しきれないと思うのでスコルピオン編が終わってももう少し続くと思います。

さて、本書も相変わらず熱いです。もう1日1日、波乱の連続ですよ。大きな伏線も回収し、非常に盛り上がっています。
僕はライトノベルのレーベルからでているものとしてはこの悪魔のミカタが一番好きなんですが、本卷をもってして15卷目なので薦めにくいですね*1。同著者の別のシリーズ”シフト”*2も大好きなんですが、こちらはハードカヴァーで高いから薦めにくいし…。難儀な作家ですね…。ジャストボイルド・オ’クロックは未読なんですが、読みきり完結らしいので、うえお久光入門としてはこのへんがいいのかもしれません。

決断主義

ところで…、自分の好きな作品にあんまりへんなレッテルは貼りたくないのですが、この悪魔のミカタはものすごく”決断主義的”作品です*3。本作の大きな論点は、死んでしまったコウの恋人、冬月日奈をいろいろな犠牲を払ってでも生き返らせるというコウの執着と、人を犠牲にしてまで蘇るなんて許せないという日奈の美意識の対立です。その対立を軸に、他の登場人物は自らの利益のために、コウに協力したり、コウを妨害したりします。13巻までのシリーズでは、コウが日奈を生き返らせるための力を集める話ですが、スコルピオンシリーズでは、すでに力がたまり、実行できる状況ゆえに、この対立が激化していきます。このような決断主義の世界観では、決断できないものはサバイブできません。今回で言えば、小鳥遊恕宇(たかなしじょう)が二兎追おうとして決断できず、すでに覚悟が決まっている真嶋綾や舞原イハナに圧倒されます。

ふぅ〜僕がラノベでもっとも好きな作品は決断主義に分類される作品だったのか〜。ショックだw。

でも、たぶん、単に信念が強い奴がサバイブするという話にはならないはずです。
この悪魔のミカタにはいくつかの際立った特徴があります。

  1. コウの目的が恋人を蘇らせることながら、生き返る本人はそれを望まないであろうことをコウが分かっていること
  2. コウは口では何を犠牲にしてもといっているが、実際には犠牲にできないものが多いこと
  3. コウの勝利条件は日奈を蘇らせた上で、日奈も自分も幸せになることなので、自分だけで達成するのは困難で日奈と周囲を納得させる必要がある
  4. 日奈を生き返らせるためにはパートナーの女性一人の了承がいること

独善的な願いとその願いを周りの人間が承諾するという矛盾。これをどう解決していくのか…。悪魔のミカタから目が離せませんね。

*1:悪魔のミカタ うえお久光 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

*2:シフト うえお久光 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

*3:決断主義ゼロ年代の想像力で提案された概念。「バトル・ロワイヤル」「DEATH NOTE」「コードギアス」「リアル鬼ごっこ」「仮面ライダー竜騎」「ドラゴン桜」「女王の教室」「Fate/stay night」「野ぶたをプロデュース」「平成マシンガンズ」「蹴りたい背中」「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」などの、「小さな存在」同士が「信じたいものを信じる」「無根拠でも中心的な価値観を選ぶ」という主張・スタイルを押し通して争いあう作品をさす。この文章はブログ始めました(笑) - 法政大学文学研究会ブログの内容を少し改変して使用させていただきました。