技術と信念

そういえば昔理系的な物語作成の問題点とかを書くといって書いてなかったなぁ。ネタがないなら書いておこう。


僕はですね。小説を書いたり、物語を作ることには特別な才能がいると思っていたんです。
で、僕はとんでもない理系人間。そういうのは無理だと思っていました。
そもそも国語のテストでも論説文は満点でも随筆や小説や現代詩となると苦手でああいうどうもはっきりしないのは嫌いでした。


しかし、F.E.A.R.ダブルクロスに出会ったり(といってもキャラ作っただけでまだやってない…いつかやれる日がくると信じよう)、いろんな物語作法を読んで、けっこう理詰めで作れるものだってことが分かってとても驚きました。


でも、そういうのはやっぱり技術は技術。技術だけで優れた作品ができるわけではないんですよね。
そういうのが顕れた最たるものが銀色の髪のアギトだと思います。(感想はこちら
銀色の髪のアギトジブリガイナックスにできることは自分達にもできるということを示しているとは思いますけど、それだけです。なぜ、その技術が必要だったのか…何を表現したいのか、そこがはっきりしない作品になっていると思います。GONZOに必要なのは今までの方法では表現できない何かを持った人なんでしょう。


また、TRPGではハンドアウトを使えば簡単に盛り上がる話ができるかもしれませんが、そういう技術に溺れず、自分がやりたいことに対してハンドアウトが有効だから使うっていう態度じゃないと、PLとしてもいまいちGMの意図がわからないと思います。


あたりまえのことですけど技術を持った上で”何を表現したいのか”考えて欲しいと思いますね。


これは最初の認識、『理系には良い物語は書けない』っていうのに逆戻りなのではないです。
表現したいことを表現できる手法が論理的に書かれたものが出回り始めたのはすごくいいことです。
例えるなら、今まではエンジンはあってもギアがない状況でした。
すごく強いエンジンを持っている人のみ、ギアを磨いて車を走らせていた状況かと思います。
でも簡単なギアを作る技術がひろく一般のものになった結果、
その技術がすばらしすぎて、もとのエンジンが省みられなくなってないかなぁと思うわけです。
別にすごい力のエンジンじゃなくても、いろんなエンジンで、車が走るようになったんだから、試して欲しいなぁって思いました。