子どもの犯罪

例の佐世保の事件の話をしようと思う。
といっても何か特別なことを知っているわけではないんだけど。


この話をしようと思った動機はkagami氏である。
kagami氏はネットの世界ではわりと有名で、2chなんかだと責められ続けている。
僕は基本的にはkagami氏の言っていることは好きなんだけど(詩作とロリゲーの絶賛はどうでもいいけどその他の部分はけっこう好き)、
kagami氏自身のあり方が自分の言葉に大きく矛盾しているように思えることも多々ある。
でも、「子どもは無垢だ」とか言ってはばからないkagami氏が「子どもが子どもを殺す」っていうことに関してもちゃんとコメントしていたので、感心して僕もこの問題を考えることにした。


よくいわれるバトルロワイヤルの模倣について思うのは、
「それがあたりまえ」になっているんじゃないかということだ。
大塚英志が9.11のテロとハリウッドの映画との関係をよく挙げるけど、
現実で虚構の模倣をするというのは子どもに限らずよくある話なんじゃないかと思う。
AVを模してSEXすることとかはよく言われるし、僕は働いてないからわからないけど、嶋耕作みたいに仕事をしたいサラリーマンとかもいそう。
雑誌の中身なんかも虚構だと思えばファッションなんかもすべて虚構のマネ。

現実の中で虚構の真似をするのは当然。

それは当たり前だとして、僕はこの事件にどういう態度をとるべきだろう?
昔の僕なら間違いなく「そんなことが起こるのは確率上ある程度しょうがないこと。殺したほうの子どもは殺したことを厳粛に受け止めて殺す心理について本でも一冊書け。」ってな態度をとったと思う。


大塚英志なんかの戦略どおりなのかもしれないけど、僕はもっと社会に関わっていきたくなっている。社会というものを変更不可能なものとして受動的に生きるのではなく。単純でも「子どもが子どもを殺すなんて痛ましい」とか「自分も他人も殺されるのは嫌だ」という感情から、なるべくこういう犯罪がなくなるにはどうしたらいいのか考えて、何かいい案が思いついたならこういう場や、もっと聴衆の多い場で発表し、なんらかの形で社会を変えていきたい。


なぜ社会に関わらなくてはならないかと言うと、社会に関わらない態度が「逃げ」だと思うからだ。逃げたくない。しかし「誰もが逃げちゃだめなのか?」という問いには僕は答えられない。僕が逃げたくないのはきっと逃げないで頑張った結果が、今の僕の大学院生という立場であり、それを肯定したいからだ。逃げずにがんばってあるていど結果を残したという経験があって初めて「逃げたくない」という気持ちが生まれると思う。


で、親や先生がこの問題にどう関わればいいかというのは、まだはっきりとしたことはいえないが、虚構のくだらなさや、虚構での遊び方を教えるっていうのがいいんじゃないかと思う。あとは子どもに誠実に向きあうことなんかがいいかもしれない。


まずは虚構、例えば漫画とかアニメとかをくだらないときりすてないで、子どもが何を読んでるのか把握するため自分も読んでみて、子どもが優等生のふりして裏で何を考えているのかっていうのを知るといいんじゃないかと思う。「親はわかってくれない」とかいわせちゃだめだと思う。親だって漫画とかエロ本とか読んで大きくなったんだから。そのうえで、こういう虚構とのうまい付き合い方を教えて行けばいいんじゃないかと思う。


あと僕は「虚構が言いたいことや虚構のわけを突き詰めていく」ことで大人になるんじゃないかと思う。バトルロワイヤルが言いたいことは何なのか?僕は読んでないからわからないけど、「ある種の欺瞞に対する怒り」なんじゃないか。この年になって思うのは先生が「みんなと仲良くしましょう」っていうのを「そうするのが当然だから」(これが欺瞞)言うのではなく、「それを実現させるのがすごく難しいから」(こっちは誠実)しつこく言うっていうことを子どもに分からせるという立場をとれば、先生の言うことを聞きやすかったと思う。


イラクの人質事件でもあきらかになったけど自分が被害者になるという想像力が欠けると、人間はすごく攻撃的になる。「すごく難しいこと」だけど、他人の立場になってものを考えることが大事だと思う。

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http://www4.ocn.ne.jp/~temp/index.html kagami氏のサイト
あとでここをみてもきっと話題は違うと思うが一応挙げておく。